ブログは料理。サイレントマジョリティと海原雄山。

本を読む場合でもニュースを見る場合でもいわゆる情報に接するとき、鵜呑みにすることだけはしないようにしている。どんな著名な有名な人が書いた本でもブログでも、それを諸手をあげて絶賛するということは滅多にない。
   ――アウトプットについて考えた(かみんぐあうとっ)

諸手をあげて絶賛することは滅多にないだけで、ものすごく傾倒することはあったりしますね。
惹かれる文章、心を掴んで離さない文章ってあるなぁ……。それは、プロの作家が書いた文章であったり、もしくは一般のブロガーが書いた文章であったり、放たれた言葉には背景があると思うのですよね。(無い場合もあるかもしれませんが。)本を読む場合もブログを読む場合もちょっと深読みをしてみると、面白いですね。
小説であれば、どうしてそんな作品を作家は書こうとしたのか、ブログであれば、どうしてそんな記事をブロガーは書こうとしたのか、動機があると思うのですよね。なにかがきっかけになって記事は書かれる。そのなにかは、ブロガーが選択するもの。ああ、料理に似ているかもしれませんね。ブロガーがメニューを決め、材料を選択し、料理し、そして食卓にアップする。食べる人が読者。美味しい料理ができるときもあるし、失敗するときもある。なんだか物足りないという料理の場合もある。時にはインスタントのときもあるかもしれませんw お湯を入れて3分とかw twitterのタイムラインで、やたらとカレーが目について、カレーが食べたくなってカレーを作ったことあります。


カレー専門店みたいなブログもあれば、ファミレスみたいなブログもある。和食もあれば中華もあり、焼肉中心のブログも。。。焼肉でタケルンバ卿のブログを思い出しました。


そうですね、ブロガーは味見をしつつ、書いているようなものかもしれません。実際読み返しながら、アップする前は読んで誤字脱字をチェックするわけで、長い記事になると、読んでいるうちにおなかいっぱいになって読みたくなくなることありますw まぁブロガーの中にはほとんど読み返さないでアップするというツワモノもいらっしゃるかもしれませんw それでも美味しく読めるのであれば、それでいいと思います。いたずらに時間かけるのがよいこととも思えませんし。


さて、話を戻して、美味しい文章というのは確かにある。美味しい記事が書けたときはうれしい。自画自賛するw しかしながら、食べられることは食べられるんだけど、うーん、美味しいとはいえないなーという記事もあったりする。なんじゃこれは?という記事もあるかもしれない。そこで海原雄山のように「まずい。ブログがなんたるかがわかっておらんな」と言う人は、まぁ稀でしょう。だいたいの読者はサイレントマジョリティ。黙っている。文句を言ったりはしない。料理人として美味しい記事を作ったつもりでも、読み手にとって好みでなかったり口に合わない場合もあるでしょうね。うーん、それはそれで仕方がないかな。


絶賛する料理もあれば、文句を言いたくなる料理もある。こってりした料理が好きな人もいれば、あっさりした料理が好きな人も。変わった料理やゲテモノ料理が好きな人もいるかもしれないw


ブログの場合、読者の多くはサイレントマジョリティ。ROM専だと思います。海原雄山的な人は稀。反応はアクセス数で判断するしかないんじゃないかな。だからアクセス数にこだわってしまうのかな。はてスタは、はてなユーザじゃないと押せないし。んー、やっぱり美味しい料理が出てくるところに人は集まりますよね。美味しい美味しくないの判断は、んー、やっぱ読者の舌によるわけで、読めば読むほど口は肥えていくように思います。よしあしがわかるという意味でそれはよいことだと思います(=´▽`=)