否定されたとしても心が折れたとしても・・・

否定されて心が折れる人、折れない人』この記事を多くの方が読んでくださったようです。ありがとうございます。あれから考えたことを書いてみようと思います。


心が折れるのはダメだとか弱いのはダメだとかそういう風には思っていなくて、誰でも折れることはあるし、弱いところはあるものだと思います。私にも弱いところあります。


否定されたとしても心が折れたとしても、また立ち上がればいい、立ち上がれる日はくる、そう信じています。
否定されたり拒絶されたりして、もうだめだと思うかもしれない。
けれど、それでおしまいじゃない。
時が解決することもあるし、今感じている痛みも薄皮をはぐように少しずつ薄らいでいくかもしれない。


人を傷つける言い方しかできない人もいます。
自分こそが正しいと譲れない人もいます。
他人は変えられないと思うこと多いです。
その人にはその人の考え方やこだわりがあって、それを変えようとするのは並大抵のことじゃないと思います。


「心が折れて」と書くとやはり大げさな気がしますが、痛みを知るとその痛さを知った分優しくなれたり強くなれたりすると思うのです。痛みに鈍感な人というのは確かにいます。痛みがわからない人。それがいいのかどうかはわかりません。人の感覚は本当に人それぞれちがって、傷つきやすい傷つきにくいあるのですよね。


ポジティブでタフであればいいな、と思います。とはいえ、それは理想で、現実はなかなかそうはいかないのかもしれません。年をとるにつれ、完璧じゃなくてもいい、適当でもいいんじゃないかなって思うようになりました。我ながらよくやってるじゃん、と自分で自分を褒めながら毎日暮らしていくそんな感じでいいんじゃないかと。


ココでも書きましたが、明けない夜というのはないと思いますし、ココで書いたように人を嫉妬しても自分にはプラスにはならないです。他人の評価を気にしすぎても、かえってそれが足枷になりますし、なるようにしかならないことも世の中多いです。
なるようにしかならない、といえ、やはりせっかく生きているんだから好きなことやりたい、やりたいことやりたいと思うのですよね。やらないともったいないな、と。
ええ、時間は大事です。
過去は変えられない。大切なのは今、これからだと思います。