判断基準と柔軟性と最善解と。

武器としての決断思考 (星海社新書)

武器としての決断思考 (星海社新書)

今読んでいる本です。

自分の中に判断基準がある人はいいなと思う。
自分の判断基準があって、かつ相手の判断基準も考えられる人はすごいと思う。なかなか相手のことまで考えられる人は少ないと思うので。
相手を思いやることで、ビジネスでも人間関係でもうまくいくというのは言えると思う。
自分の利益や自分の立場優先の人にどうしても良い印象を持てないというのがあって、これは私だけではないだろう。
利益や立場を優先したり大事にしてもいいけれど、大事になのが自分ばかりで他の人はどうでもいいという態度は、 結局のところ孤立を招くことに。
孤立して良いことがあるかというと、ないと思う。
自分の判断基準を持ち、かつ周囲とも対話できる。それは理想。
武器としての決断思考 (星海社新書)からの引用

複数の視点を持ち込み、ぶつけ合うことで、「いまの最善解」を出すことができるようになるのです。

これはお互いに視点を持ち込んでこそ、視点を明らかにしてこそできることで、自分の視点がはっきりしない、自分の意見がはっきり言えないという状況では、解も何も出ないな、と。
まずは、自分の判断基準を持つこと。それに自信がないからブレたりぐらついたりするわけだけれど、自信を持つことは今も私にとってなかなか難しいことだったりする。自信はないけれど、それでも何も書かずに何も残さないよりはいいのかな、とこのブログを続けている。

私もそうなのだけれど、正しいとか正解とかそういったことにどうしても固執しがち。結果、間違うことを必要以上に恐れ、口を閉ざす。それは賢い行動だろうか。そういった口を閉ざす人は必要とされるだろうかーー必要とはしないだろう。
怖がらずに自分の意見を言ってみること、他の人の意見も聞く耳を持つこと。プラス、自分の意見を修正する柔軟性を持つこと。これは常に頭に置いておきたい。

なかなかこの柔軟性というのは難しくて、自分のほうが知識も経験もあると思ってしまうと、譲れなくなる。自分の主張のほうが正しい、理にかなっている、合理的だ、そんな風に思ってしまう。
口がたつ人は、うまく言いくるめようとする傾向があるように思う。説得がうまい、と言える。柔軟性を持つことは大事。でも、言いくるめられないように気をつけたい。相談してもいいけれど、最終的に判断するのは自分だ。

これから先、まちがえたり、思考が浅かったりすることもあるだろう。それでもしまいこんでしまうのではなく、表に出せるものは出すようにしたい。そして最善解を出せるように、自分で動けるようになりたいな、と。