譲れる部分、譲れない部分

少し前、とある悩みについて相談された。相談されたというか、雑談をしていたら、悩み事相談になったというか・・・。個人バレしないよう詳細は書かないけれど、悩みは「ある人とどうしても(意見が)ぶつかってしまって困っている。言い争うこともしばしばで、うんざりしている。どうしたらいいんだろう」という悩み。わたしが言ったのは、「譲れる部分と譲れない部分をはっきりさせる。譲れる部分は譲る。それで相手の関係は少しは改善するんじゃないかな」と。まぁ一言一句同じではないですが、大意はそんな感じで。


で、「譲れる部分は譲ったら?」と言われても、どうしても譲れなさそうな様子。うーん、譲れる人は器が大きいと思う。譲ることによって相手の自尊心を満たすことができ、関係も改善されて良いと思うのだけれど・・・。「どうしても譲れない」とこだわるのは、それだけの理由があるのかな、と。


誰でも譲れない部分があって、その譲れない部分同士がぶつかって、お互い嫌な思いをする。どちらかが譲ることで事態が改善する。ところが「なんで私が譲らないといけないの?!」と思っているうちは何も変わらないと思う。「なんで私がやらなくちゃいけないの?」「なんで俺が〜〜?」と思う人の心には高いプライドのようなものがあるのかもしれない。もちろん、相手にもプライドがあって主張がある。「私はこうしたいんだ」という意志があって、それについてとやかく言われるとムカつく。とやかく言われたくない。とやかく言われること、干渉されることで不快感を感じるというのはやはりあるだろう。とはいえ、無視されても不快になるときがあるし、干渉されすぎてもウザイと思ってしまう。難しいところだ。


譲れる部分と譲れない部分をはっきりさせる。譲れる部分は譲る。それで相手の関係は少しは改善するんじゃないかな」まぁ優等生的なアドバイスかもしれないけれど、わたしはそういうことしか言えなくて、悩んでいる人が納得できるようなアドバイスではなかったかもしれない。全部を譲歩するのではなく、一部を譲歩してみるということ。一部を譲歩してそれで相手が軟化してくれれば、他のこともうまくいくような気がする。相手も人間で人形ではない。強いれば反発される。相手と話し合うこと、話し合った上で折り合いをつけること、それは大事だと思う。(とまぁこれもオーソドックスなきれいな意見で、現実はそううまくいかないものなのかもしれない。)