軸を定めるということ

自分の軸という言葉が好きだ。
昔からそうなのだけれど、「私」という人は「ブレない人」に憧れている。
様々な矛盾が自分の中に混在して、いつもブレてばかりだから、ブレない人に憧れるのかもしれない。


多くの矛盾を抱えながら、どうにか倒れまいとしてきた。倒れないために必要なのはバランスだと感覚的にわかってきた。バランスをとることが心地良いと思うようになった。突出した能力や才能がないことは自分でわかっている。それならバランス力と安定感で勝負だ。バランス力と安定感。そして継続力なら負けないと言える人になろうと今本気で思っている。



そして現実も想像もどちらも満たす自分になろうと思っている。自分の中の矛盾すべて解消することはできない。けれど、自分が納得する位置へ自分で持ってくることは可能だと思う。
納得する位置、状態になるために軸を定める。定めたらバランスをとり、動き続ける。私の場合、動き続けることで安定する。とても安心する。動いていないほうが不安だ。
何かをしていることで、これからをわくわくしながら迎えられる。
目標があって、やりたいことがあって、動き続けると言ってもいいかもしれない。悔いは残したくない。


できないことはできない。自分ができることをやるだけだと思う。自分のためだけではなく、誰かのために動きたい。自分ができることで役立ちたい。「私」という人が生まれてきたからには何かできることがあるはず。できること、他よりは得意なこと、続けても苦にならないことを仕事にする。突出した能力や才能がなくても、できることはあるはず。繰り返しになるけれど、私はバランスと安定感を自分の武器にしたいと思っている。


つらいことがあって、うれしいことがある。どんなにつらいことも永遠には続かない。光があるから影がある。喜びも悲しみも辛いことも嬉しいことも矛盾することすら全部受け入れる。受け入れて、自分の軸でバランスをとる。バランスをとるために軸を定めるけれど、その軸は微調整できる軸でありたい。テコでも動かないような軸にはしたくない。バランスを取りながら進んでいくために必要とするものが軸。こうして書くことで、少しずつ自分の軸というものが定まっていくのかもしれない。