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凹んでも引きずらないということ。

つぶやき

以前の私だったら凹んでどうしようもなかっただろうなということに出くわした。否、やらかしたと言ったほうがいいかもしれない。


しかしながら、凹まなかった。
否、一瞬凹んだけれど、すぐに平静を取り戻した。引きずらなかった。


それはどうしてか。


精神的に強くなったのか。


それもあると思うけれど、
何より自分の実力を自分の未熟さを思い知っているからだと思う。
厳しい指摘も仕方がない。
失敗はやはり失敗だ。
どうして失敗したのかも、自分でわかっている。
自分のいたらなさを責め、凹んだところで事態は変わらない。


凹むのではなく、次に備えること。精神的なコンディションを整えること。そちらのほうが大事だとそう考える。
凹んだりふさぎこんだりしたところで、なんのメリットがあるだろう?良いことはないように思える。
失敗は失敗と認め、諦める、引きずらないことを私は選ぶ。


そして失敗は、自分だけのせいではなく、運とかタイミングとかどうしようもないことも含まれるように思う。悔しいことだけれど、運やタイミングのせいでうまくいかないこともあるのだということ。すべてを運やタイミングのせいにするのは良くないけれど、運やタイミングもこの世界にはあることを知っておくと、少しは楽になるかもしれない。


「この世界」と書くとなんだかSFみたいな感じがして好きだ。


こうして書きながら、自分が今この世界に生きている何十億の人のひとりにすぎないことをふと思う。たったひとりの人間に一体どれほどのことができるのだろう。ひとりの人間の能力は一体どれほどのものなのか、ひとり考える時がある。


なんでもできそうな気がするけれど、それは驕り(おごり)で、人ひとりができることはたかが知れていると思う。
しかしながら「どうせたいしたことはできないんだから」と言いきってしまうのは悲観的で自暴自棄的なので好きではない。
たかが知れているけれど、何もできないわけではない。
ささやかでもできることがある。
こうして書いて発信したり、0を1にすることができる。
それを、それこそを大切にしたいと私は思っている。


自分ができることはささやかな、わずかなことだと常々思っている。ささやかでわずかなら、根気よくコツコツと積み上げ続けていくしかない。


できなくても失敗しても凹んだままでいることは、さまざまな面で良いことではない。誰かに「よしよし」と慰めてほしくて凹み続けているの?と言いたくなる。繰り返すけれど、失敗は失敗と認め、諦めること、引きずらないこと。次のやるべきことに集中すること。私はそれを選ぶ。


凹んでも引きずらないということ。


我ながら強くなったものだと思う。
まあ強くならざるを得なかったというか、まあ多分そういうことなんだと思う。