なくした自信を回復するには…

無力とまではいかないけれど、認められていないなあ、必要とされていないなあと感じることがある。仕事でも人間関係でもなんでもそうだけれど、うまくいかないと自信をなくしてしまう。全部が全部自分のせいではないとはわかっていても、落ちこむし無気力になって何もしたくなくなる。また失敗するんじゃないかと怖くて動けなくなる。


でもまあ、落ちこんだり無気力になったりが長くは続かないのが私の良いところでもあって、たいてい一晩寝れば浮上する。


なくした自信を回復したければ、自分でどうにかするしかない。今の自分でできることからするしかない。


今までいろいろなことをしてきたけれど、どれも中途半端で、自信が持てるものを持てないままここまで来てしまった。ひとつのところにとどまることが今までなく、根っこをしっかりとはれずにいたのも、自信を持てない原因になっていると思う。


まあ、自信が持てなくても、それでも自分は自分だし、そもそも他者の評価なんていくらでも変わるし、あてにならないものだ。


評価されないこと、認められないことは悔しいことで辛いことだ。評価されたい、認められたいという欲から来るものだ。欲が強すぎて、評価や承認に固執しすぎて、それで自分で自分の首を絞めているように最近思えてならない。一旦評価や承認といったものから離れて、評価されようがされまいが淡々とやるべきことをやる、ひとつひとつを丁寧に着実に、そう切り替えようと思う。落ちこんでも陽はまた登る。繰り返しになるけれど、「自分ができることからするしかない」。



もし好きではないお菓子をお土産でもらったら、どうするか。

職場などでお土産のお菓子が配ったり、もらったりはまあよくあることだ。先日、同僚(仮にAさんとする)が某県を旅行したそうで、お土産のお菓子が1人1個配られた。私は初めて見るお菓子でたぶん有名なお菓子ではないと思う。


ある人(仮にBさんとする)が机の上のその配られたお土産のお菓子を見て、
「あ、これ好きじゃないから」
と、3個ほど残っていたお土産のお菓子の箱の中にポイッと投げ戻した。


うーん、投げるか普通?
 

私とその場にいた数人は顔を見合わせてしまった。お土産を買ってきた同僚(Aさん)もその場にいた。


まあ、お菓子を投げ戻したBさんは元々好き嫌いが激しくて、物言いもハッキリとした人だけれど、何人もが見ている前で投げ戻されると、買ってきた人は決してよい気持ちはしないだろう。実際お土産を買ってきたAさんは複雑な表情をしていた。


食べ物の好みは人それぞれ。お菓子の好き嫌いもあって当然だ。しかしながら、嫌いなら嫌いでいいから黙って人がいないときそっと戻せばいいのに。あるいは他の人に食べてもらってもよいと思う。


Bさんは投げ戻したお菓子がAさんが買ってきたものだ、ということを知らないらしく(もしかしたら誰が買ってきたとか興味がないのかもしれない)、相変わらず飄々としている。ハッキリとした物言いも変わらない。それはその人の個性だから、まあいいのだけれど、AさんはBさんに対して距離を置くようになった。まあお土産を投げ戻されるとようなことがあったばかりだから仕方がないと思う。まあ食べないからとゴミ箱に捨てられるのもよい気持ちはしないけれども。


もし好きではないお菓子をお土産でもらったらどうするか。さきほども書いたけれど、こっそり返すか、誰かに食べてもらうか、がトラブルにならなくてよいのではないだろうか。ハッキリと好き嫌いを表明したほうが親切な気もするし、でもまあ投げ戻すのはあんまりだと思う。ということで今日はこのへんで。



地道にコツコツとできることからー新年度の目標

2016年度がはじまった。
年の初めに目標とか書かない。明言しない。なんてことを書いていたけれど、やっぱりそれだど茫洋としてしまう。ブログには書かないけれど、今使っている手帳には書くことにした。目標を5つほど。5つくらいがすぐに思い出せてよいと思った。多すぎると達成できないものも増えそうだ。


地道にコツコツとできることからやっていこう。
ひとことで言うとそんな感じ。


目標を意識しつつ、毎日穏やかに、ブレずに丁寧に。
ブログについては、もっと言葉を駆使して表現できるようになりたい。


さあ新年度のはじまりだ。




早起き習慣の復活と英語の勉強

英語を勉強しようと思いつつ、夜は疲れて勉強する気になれないでいる(昼間は仕事)。うちに帰るとついついテレビを見たり録画を消費したり、いつのまにか寝てしまっていたり。


これから暖かくなってくるし、早起き習慣を復活させようと思ったので、宣言の意味もこめてここに書いておこう。


早く起きて英語を勉強する。
寝て頭がスッキリしているうちに勉強する。


前にも興味があるというのを書いたけれど、オンライン英会話についてもいろいろ調べている。低価格で、あと予約しやすいか、もしくは予約なしでもOKなところはないか、探している。会話の先生もいろいろ選べるとよいなと思う。こういうことが英語で話せるようになりたいというのが私の中にあるので、目的(目標)ははっきりしている。「英語は喋れてなんぼ」というのはまあ事実だと思う。もちろん「聞いてわかる」というのも大事だ。


まずは時間の確保。
早起き習慣の復活。


ちなみにこれが今勉強している本とCD。
CD音声を聞いて、それに対する答えを英語で言う練習をしている。英語を聞いて、反射的に英語で答えられるようになるまで練習するつもり。

英会話1000本ノック[入門編](CD付)

英会話1000本ノック[入門編](CD付)


入門編の次はこれ。

英会話1000本ノック

英会話1000本ノック



「自分の性格が嫌い」とか漠然とした問いに答えてみる

このブログを読んでいる人だったりツイッターのフォロワーだったりする方から悩みごとの相談をコメントやDMでもらうことがあるのだけれど、全然会ったこともない人なので、どう答えていいものか悩んでしまう。
アドバイスがほしいのだと思うけれど、漠然とした問いを投げかけられてもどう答えてよいか悩んでしまう。問いは、例えば「私は自分の性格が嫌いです。どうしたらこもこさんみたいになれますか?」とか「毎日つまらないです。どうしたら毎日楽しくなるんですか?」など。


わからないから聞いているのだと思うけれど、うーん、わたしもわからない。わたしもその方に聞きたい。「どうして自分の性格が嫌いなのか」「どうして毎日がつまらないのか。」


速攻で問いに対する答えを誰かに求めるよりも、まずは自分でどうしてか考えるところから始めたほうが、納得できる答えにたどり着けるかもしれない。


「いえ、考えてもわからないから聞いてるんです。悩んでるんです」と言われるかもしれないけれど、わたしなりに考えると、たぶん自分の性格が嫌いということは、自分の性格を好きになりたいということで、毎日つまらないということは毎日を楽しくしたいとそう思っているからで、それなら「どうして…?」を「どうしたら…?」に変えた方が、もう少し前向きに思考が動いていくのではないかと。


つまり「どうしたら自分の性格が好きになるのか?」「どうしたら毎日が楽しくなるのか?」問いを「どうしたら」変換させて自問自答してみては?ということをここに書いてみようと思う。


理想ばかり追い求めてもまあしょうがないし、適当にゆるく物事を考えていたほうが、精神的に追い詰められなくてよいかもしれない。性格は急には変わらないものだし、もしかしたら性格はどうやっても変わらないものかもしれないし、そのあたりは人それぞれで、無理しなくていいと思う。無理に好きにならなくてもいいし、滅茶苦茶嫌いにならなくてもいい、というか嫌いになったところで、自分は自分だし、結局自分の面倒は自分でみるしかない。おなかがすいたら何か食べなきゃだし、眠くなったら寝なきゃだし、楽しいことについても、そんなに楽しいことに固執しなくてよいと思う。楽しいことも、楽しいことばかりだと飽きる。飽きてつまらなくなる。私の場合、熱しやすく冷めやすいところがあるので、適当に複数楽しいことを身近に並べておく、くらいがいいのかもしれない。まあこれも人によりけりだ。


ネットを縦横無尽に漁れば、何か答えが見つかるかもしれない。どこかに答えが落ちているかもしれない。QandAサイトなどを見てみるのもいいかもしれない。しっくり来る答えがあるかもしれないし、ないかもしれない。結局は、自分がどう受け取るか。誰かの答えを良いと思って携えるか、あるいは自分で出した答えを携えるか、その違いだと思う。どちらでも好きな方を選べばいい。あるいは、選ばないという、答えを出さないという選択も有りだ。白黒つけられないことも世の中にはたくさんあって、「まあしょうがないよね」と目をつむることも処世術としてあるのは確かだ。


長くなってしまったので、まとめたいけれど、まとまりそうにない。
漠然とした問いは思考する良い機会だと思う。考え方の幅を広げるために悩む人向けに書かれた本を読んだり、ネットをあちこち見てみるのもいい。ただ、個人的に思うのは、一人の人に答えを求め、その人に全知全能な答えを期待するのはよくないと思う。というか「期待するような答えが返ってくるとは限らない」と思っていたほうがいい。ひとりの思考はやはりひとりの思考にすぎない。思考は偏っていたりするものだ。まあ、その偏りは個性であったり、その人らしさでもあるから、私は好きなのだけれど、その思考を誰かに押しつけるのはよくないよね、ということで、お開きにしよう。



泣いても一生。笑っても一生。

泣いても一生。笑っても一生。
泣いても笑っても一生は過ぎてく。
それなら笑うほうを選んで、楽しく笑っていたい。


シリアスなのは基本的に苦手だ。子どもの頃からわりと自由奔放にしていて、仲のよい友達もいたけれど、ひとり遊びも好きだった。竹山を探検ごっこしたり、小川のはじまるところが見たく上流へ上流へ歩いて行ったり。楽しかった。いつも笑ってた。


心身ともに(体力的、精神的に)余裕がないとなかなか笑えないというのはある。体調が悪くても。
余裕や体調は大事。まあそういうことになるのかな。


最近はできるだけ予定を詰めこみすぎないようにしている。無理をすると(忙しすぎると)必ず体調を崩す。精神的にも余裕がなくなる。いっぱいいっぱいだと思わぬ失敗をしたりトラブルに遭ったりする。そういうときポジティブにはなれないものだ。


悪いことは長くは続かない。雨はいつかやむ。たとえそれが嵐であっても。


泣き続けても何も変わらない。泣いたあとはスッキリするから泣く効能はあるかもしれない。


泣いても一生。笑っても一生。
どうせいつか終わる一生なら、笑っていたい。
口角をあげていたい。


楽しいことは自分で見つける。
わたしはそうしてます。


乾麺は便利。乾麺のチャンポン麺、茹でたらモチモチ食感で美味しかった。

いただきものの乾麺がいろいろあったので最近それらを調理するのにハマっている。まあ、ハマるというか、麺料理が続いているというか。


乾麺だと生麺と違って日持ちする。これは良い。
一応賞味期限はあるけれど、生麺よりもずっと保つ。


乾麺というと、インスタントラーメンがポピュラーかもしれないけれど、チャンポン麺の乾麺もあって、お土産でいだいいたものを作って食べたら、美味しかった!
乾麺だけれど、茹でたらモチモチに!そうそう、チャンポン麺はこの食感!


乾麺のチャンポンの作り方
1.チャンポンのスープ(付属のスープ)を水かお湯(だいたい一人前360cc)に溶かしておく。


2.切ったお肉とかキャベツとかニンジンとかカマボコ、もやしなどを少し深めのフライパンで炒める。(あとでスープを投入するため)


3.乾麺のチャンポン麺を4分ほど茹でて、ザルに取り上げておく。


4.2の炒めた野菜や肉入りのフライパンに1のスープを入れて加熱。スープがよい感じに熱々になったら、3の4分ほど茹でた麺(元乾麺)を入れて、1分くらい煮こむと出来上がり。


乾麺は4分茹でただけではまだかたいこともあるので、そこは適宜茹で時間を増やします。




これはいただいたものとは違うけれど、普通に乾麺のチャンポン麺はスープ付きで売っているみたいです。

五木食品 スープ付ちゃんぽん 360g×5個

五木食品 スープ付ちゃんぽん 360g×5個


キャベツとかモヤシとか野菜をモリモリ食べたいときチャンポン良いです。


普通のインスタントのチャンポンもあります。

マルタイ 長崎ちゃんぽん 93g×12個

マルタイ 長崎ちゃんぽん 93g×12個