Twitterと寂しさについて考えてみました。
- 反応がない寂しさ
- 地方在住の寂しさ
- Twitterに有名も無名も関係ない
- リムーブ、ブロックされる寂しさ
という流れになっています。
1.反応がない寂しさ
ブログを書くことでTwitterにつぶやくことで、自分の存在を知ってもらえる。ええ、うれしいですね。その一方で、寂しかったりすることもあります。ええ、反応が全然なくて、寂しいなぁと。Twitterの場合、単純に@リプライがなくて寂しいというときもありますが、そうですね、必ずしも@リプライに返さないといけないという義務はないので、リプライがなくてもしょうがないと思うようにしています。
そうですね、ブログの場合、誰かが読んでくれると思うから、誰かが読んでくれると思うからブロガーは書き続けられるのだと思います。読んでほしいと、そう心のどこかで思っているのは私も他のブロガーさんも同じだと思います。
そして反応がほしい。
ただ書くだけで反応がないのはさびしかったりします。書くという作業は一人でする作業で、そういう一人の時間も必要だと思いますが、なんていうのかな、やっぱり一人きりというのはさびしいものです。
まぁ、Twitterの場合、つぶやき(ツイート)ですから、反応はなくても当たり前。あったらうれしいという感じでしょうか。反応はなくて当たり前というのは気楽でいいですよね。そのあたりの気楽さもTwitterの人気なのかもしれません。
2.地方在住の寂しさ
私自身、さびしがり屋でにぎやかなところが好きです。私は今福岡に住んでいるのですが、Twitterのオフ会はしばしば開かれていて、オフ会も参加できるものであれば参加しています。ブログを書いていて、Twitterをしていて、ええ、Twitterのオフ会にも参加するようになりました。
オフ会にも時々参加するのですけれど、その一方でしばしば寂しさや孤独について考えます。
ブログを書いていて、Twitterもしていて、けれど地方に住んでいてオフ会に参加したくても参加できないという場合ありますよね。オフ会の話題がタイムラインに流れてくるとけまらしい、爆発しろというつぶやき(ツイート)を見かけますが、わかります。なんだかすごく楽しそうにしている。それを指をくわえて見ている自分はなんなんだろうなって。うらやましくて、歯がゆくて、なんていうか悔しくて。ああ、なんだか寂しいな。孤独だなって。
簡単に地方では人は集まらないです。距離的な問題もありますし。こればかりは仕方ないです。
その仕方がないというあきらめっていうのかな、あきらめられるまでが結構長かったりします。
ええ、オフ会のレポートとか楽しそうですよね。あとは、Ustとか。見たらうらやましくなる。東京に住んでいれば参加してただろうな、と。
都会が中心になって、ええ、人が人を呼んでというのは否めないですね。地方は人が少なくて仕事も少ない。自然と人がいて仕事もある都会へ人は移動してしまう。にぎやかで刺激のある都会へ。
とはいえ、都会へ移動できる人ばかりではないです。家族やいろんなしがらみがあって移動できない人も多いと思います。私が住んでいる福岡は、九州の中では人が集まっている方ですが、身近な人が東京に引っ越したりすると、なんだか取り残されたようなそんな感じがして、なんとも言えない気持ちになります。ああ、やっぱり東京に行っちゃうんだなぁと。
そうですね、Twitterで日本全国のTwitterユーザとフォローするという形でゆるくつながるようになったわけですが、あるフォロワーさんは地方在住でオフ会に参加したくても参加できないからもうオフという文字はNGワードにしたそうです。けまらしいので見たくないと。
なんていうのかな、あえて寂しさに目を向けないで、寂しさに焦点を合わせないようにしていくというやり方も有りかもしれません。楽しくしているのがいちばんいいと。そうですね、多少刹那的な享楽的な楽しみ方に見えないこともないのですが、やはり自分で自分を楽しませる方がよいのかもしれません。
ええ、自分で自分の寂しさを認めたくないとそういう場合もあると思います。自分を寂しい人間だと思いたくない。そうですね、むしろ、自分で自分の寂しさを認めることができたら、受け入れることができたら、おそらくその方が楽になると思います。寂しいという感情は誰にでもあるもので、誰でも感じるもの。寂しいとか悲しいとか泣きたいとかそういう感情を無理に抑えるよりも、いっそ認めてしまう。寂しいのは自分だけじゃない。他にも寂しい人はいる。そういう考え方も有ります。自分は寂しくない人間だ。寂しさなんて感じたことない、とそう言い切れる人は稀だと思います。
そうですね、Twitterでつぶやいてさびしさを紛らわしているというようなPOSTも見かけたことあります。とりあえず何でもPOSTして面白そうなことを言ったら、反応があるから。@リプライがあるから。それがうれしくてという感じだと思います。
3.Twitterに有名も無名も関係ない
少し話がそれますが、私はTwitterには有名も無名も関係ないと思っています。Twitterユーザにはいろんな肩書きの人がいますが、みんな同じ人間で、Twitterのユーザです。プロフィールだけを見て先入観を持つのがイヤというのもあります。なので私はあまりプロフィールは見ません。フォロワー同士自由に@リプライしていいと思うのです。ええ、同じTwitterユーザとして。
普通の人の生の言葉がいちばん面白いです。編集作業が入ったようなそんな文章は、形式的なかっこつけ的なにおい、商業的なにおいがしてなんだかなぁって思うのです。自分のブログだから自分のTwitterだから、もっと自由でいい。自分らしさを出していい。(まぁ多数の人から見られているということで、それを意識することは必要なのですけれど)なんていうのかな、有益で役立つようなことを言わないとフォローしても意味がないみたいなそういう考え方はイヤなのですよね。別にどうでもいいことをつぶやいていいじゃないですか。天気がいいとか、その人が住んでいる土地のことなので他の地方に住んでいる人にとってはどうでもいいことかもしれませんけれど、なんていうのかな、潤滑油というか遊びというか、そういうのも必要だと思うのですよね。和んだり癒されたり笑ったり、そういうのも大事だなって思うのです。
私は文章を書くのが好きで、そしてつぶやくのも好きです。そして、自由が好き。ええ、縛られるのは好きではなくて、自由に自分の意志で行動したいというのがあります。自由に。ええ、自由でいることはまた寂しさとも隣り合わせだったりします。一人で自由にしていたい。でも、時には人と喋りたくなる。なんでもいいから喋りたくなる。そんなもんだと思います。
いろいろとブログに書くのは楽しい。けれど、反応がないというのは寂しいもので、人は無視されたり相手にされないことがいちばんつらいと思います。存在を認めてほしい。自分も仲間にいれてほしい。そんな気持ちはあると思います。
有名な人も有名は有名なだけに、たいへんなことめんどくさいことあると思います。注目され続けるというのも疲れるものだと思います。一挙手一投足を誰かが見ている。ひとことひとことに反応がある。それはうれしいことかもしれませんが、反面、失言等したときの反応もすごいですよね。人間なので口を滑らせたり、言い過ぎたり、ちょっと表現的にどうかということもあると思います。普通の人の発言だったら叩かれないけれど、有名な人が言ったがゆえに叩かれるということあります。たぶんですね、有名になったとしても孤独は感じるものだと思います。
4.リムーブ、ブロックされる寂しさ
誰とでもゆるくつながることができるTwitter。その一方でリムーブ、ブロック等されることもある。つい最近まで@リプライをしあっていたフォロワーさんからリムーブされ、ええ、寂しいと思いました。どうしてリムーブされたのかあれこれ憶測はしてみるのですが、本当の理由はわかりません。私の場合、つぶやき数が多いので、それがうざいと思うようになったのか、んー、でもつぶやきが多いのははじめた頃からで、その人も私のつぶやきや@リプライが多いというのはご存知で、それでもずっとフォローしてくださっていたのですよね。
リムーブするのはその人その人のそれぞれの事情があるのだと思いますが、なんの前触れもなくリムーブされて、ええ、Twitterのリムーブというのはだいたいそんなものなのですよね。いつのまにかリムーブされている。そうですね、リムーブされても気にしないとブログに書いている私ですが、実際親しいと思っていたフォロワーさんにリムーブされるとショックですね。ぽーんと突き放されたような、そんな感じがしています。ええ、リムーブされたからといって、どうしてリムーブしたんですか?とは聞けないですよね。私はおたずねする勇気はなくて、そのままにしています。
楽しい楽しいと言っているTwitterですが、リムーブされたり、そういうこともあります。ゆるいつながりがいつまでもあるわけじゃない。誰かとつながろうとしてもうまくつながれないこともある。うまくコミュニケーションとれなくて、泣きたくなるときもあります。お互いにコミュニケーションしようとしないとコミュニケーションはうまくいかないものです。ささいなことからすれちがったりというのもあると思います。ネットが曖昧で不確かなツールであるのも否定できないです。
でも、それでも、あきらめたくはないというのがあります。オープンでいたいというのかな。距離的に会ったりはできないけれど、ネットを使えばお互いの近況を知らせたりはできる。ゆるくつながっていられる。それぞれがそれぞれの場所で元気にしている、というのがよいと思います。ええ「今日もいい天気」でもいいからつぶやいて、元気にしているというのを私はつぶやいていきたいです。