人の数だけ視点があるということ。

毎日のようにTwitterをし、さまざまなブログを読んで思うのは、人の数だけ視点があるのだなぁということだったりします。

みんなちがってみんないい。

という金子みすずさんの詩がありますが、本当にそうだと思います。


人の数だけ視点があって、考え方、感じ方があります。
時にぶつかったりすることもあります。
ちがうと否定されたりすると否定された側は少なからずショックを受けるものですが、私は否定は否定で存在していいと思います。
否定するのはその人の自由なんですよね。その人はそのことについて否定というスタンスを持っているだけです。自分の考えを否定されたからといって、自分の存在まで否定されたわけじゃないです。自分は自分で考え、意見を持っていていい、そう思います。
その人にはその人の視点があるのですから、その視点を他者である自分はどうしようもないです。
人それぞれ感じ方に差があります。敏感な人もいれば鈍感な人もいます。どんな人にも好き嫌いはあると思いますし、嫌いなものを好きになれと言っても無理があります。嫌いなものは嫌いだったりします。逆に好きなものは好きなわけで、それもどうしようもないです。人から好かれることもあれば嫌われることもある。そういうものだと思います。


嫌われるかもしれないからと言いたいことも言えないのが昔の自分でした。
が、ある時、嫌われてもいいから伝えたいことは伝えようとそう思ったのですね。伝えるだけ伝えてみよう、と。
伝えたあと、嫌われて音信不通になったらそのときはそのとき。簡単に音信不通になるくらいだったら、その人とはそれだけの関係で縁がなかったのだと、そう思うのです。


腐れ縁というのでしょうか、喧嘩をしたとしても、縁があると不思議と関係は切れないものだったりします。
喧嘩というのはお互い自分が正しいと思って主張し相手を責めることだったりします。自分の方が正しい。相手が間違ってる。どうしてわかってくれないのか、どうしてそんなことするのか、あるいは、どうしてこうしてくれないんだ、とお互い責め合って、譲ろうとしないのですよね。喧嘩している間は頭に血が上ってますから、相手の主張をはねつけ自分の主張をすることしか考えてないです。


時間が経って次第に興奮が冷めて、ふと我に返って、「言い過ぎたな」と思うわけです。相手には相手の状況立場があって、相手の立場になってみたら、わかることもある。相手には相手の視点がある。相手は相手の視点で見てものごとを考えたり感じている。それをどうこうすることはできないのですよね。相手には相手の視点があります。自分には自分の視点があり、自分のものさしでいろいろなものを見ています。誰もが自分と同じように見たり感じたりしているわけではないです。


相手の視点で見てみたら、相手の主張も理解できるものだと思います。相手はこういう風に考えたからこういう風に主張したのか、相手は本当はこうしてほしかったのか、相手はこういうことが不快で腹を立てていたのかと。

人の数だけ視点がある。
人それぞれ考え方はちがう。

それは言えると思います。
人の数だけ視点があり、人それぞれ考え方がちがうということを知って私は息をするのが楽になりました。みんなちがってみんないい。人はそれぞれ自分の視点で世界を見ているのだと。