考え方を手に入れるということ

もっと早くこういう考え方をしていたら、人生変わったかもしれないなあと思うことがある。
こういう考え方というのはいろいろあるのだけれど、ひとつには自分の意見をはっきり言う。言ったことに対して批判されたり、離れていったり、そういうこともあるかもしれないけれど、言うことで同じように考える「同士」を見つけられるかもしれないということ。
昔はそういう考え方ができず、出る杭は打たれる、打たれるのは嫌だ、その一心で黙っていることも多かった。
考え方を手に入れることで、行動が変わり、人生も変わっていくというのはあるだろう。
失敗を怖がって何もしないまま人生が終わるというのもひとつの生き方ではあるけれど、それで果たして満足感はあるのかな、とも思ったり。

話は少しズレるけれど、満足感について思うのは、自分自身に満足感している人というのは、だいたいにおいて他者にも寛容であれこれうるさく言わないものだな、と。自分自身に自信がなかったり、不満を抱えていたり、思い通りになっていなかったり、そういう時他者に対してイライラしたり、文句を言ったりするのかな、と。

他の人が良く見えて苦痛でしょうがないのであれば、周りを気にしすぎない。周りと自分を比べない。人は人。自分は自分。という考え方をすれば、少しは楽になると思う。

自分を楽にする考え方をしたほうが、結局のところ明るい前向きな気分でいられるし、得だと思う。どういう考え方が自分を楽にするか、それは人によってちがうと思うけれど。

考え方はあらゆるところで得られると思う。本はもちろん、ブログでもTwitterのツイートでも、尊敬する人の言葉からでも。

考え方を手に入れられるかどうかは、自分次第。求めて探せば見つかるもの。どうでもいいと思っていたら、おそらく見つからない。探せば見つかるもの。

考え方を手に入れることで前向きになった、前に進めるようになったというのは、私自身経験している。

ひとつの考え方のみに固執したくはないというのがある。新規の考え方も必要に応じて取り入れたい、そう思う。