「答えが出ない事態に耐える力」

白黒つけたくても、なかなかつけられない問題というのは、まあ何十年も生きていると出てくるものだ。
すっきりしないまま、なんとなく日々が過ぎていくのを、「これでいいのかなぁ」と思いつつも、「まぁとりあえず、いまのところいいんじゃないか」と漂うに任せているのが最近の私だ。


漂うというのは、少し不安でもある。不安でもあるけれど、もう10代20代のときのように両手両足をフルに使って泳ぐような体力は、もうない。


ネガティブなことも、そのうち受け入れてしまうというか、「まぁそんなこともあるよね」と、妙に達観してしまっていて、自分でも怖い。例えば、仕事でダメ出しされたり、仕事を減らされたり、そのときは凹むけれど、そう長くは凹まない。「まぁそんなこともあるよね」と。


ネガティブなできごとを、あとから何度も思い出し、反芻するのは、自分で自分の首をしめ、自分で精神的につらくさせているのと同じことだと、最近また思うようになった。思い出さないようにする、反芻しないようにするというのは、なかなか難しいことなのだけれど、つらい感情にひたること、怒りの感情を再沸させることは、最終的には自分自身の破壊、周囲の破壊、周囲との断絶につながりかねず、とはいえ、感情的にならないというのは、修行が必要というか、そう一日や二日ではできないものだな、と思ったり。


ネガティブなできごとによる感情のアップダウンは、まぁ仕方がないといえば仕方がないので、できるだけ、自分の中でおさめるというか、できるだけ凪の状態に持っていこうと最近はしている。激しい感情と吐露を避けるというか。


変えられないものは変えられないし、変わってほしくなくても変わってしまうものもある。曖昧でもやもやとしたものを抱えているのは、気持ちがよい状態ではないけれど、でもその状態に耐えられる自分でいたいというのがあって、そんなことを考えながら、

この本を読んでいる。


「答えが出ない事態に耐える力」
これが今まさに私がほしいと思っている力なのかもしれない。