落胆するような出来事に振り回されないということ

10月も今日で終わりということで、なんとなく書き残してみる。
今月の最終週は落胆するような出来事に悔し涙にくれた週になったのだけれど、
「自分ではどうしようもなかった」「やれるだけのことはやった」と自分をなんとか納得させて、精神を保たせている。


冷静に今回の落胆するような出来事について考えたところで、
10年後もまだ引きずっているかといえば、
引きずっていないだろう。

落胆するような出来事も「初めて」だから、余計につらく感じてしまっているだけで、
またそんな出来事に何度も遭遇するうちに「慣れて」それほどつらさを感じなくなるのではないだろうか。


要は、「初めて」だからダメージが大きかったということ。
これからも落乱するような、がっかりするような出来事は起きるだろうし、
そのたびに落ちこんで、他の事ができなくなるのは、
わたしの主義ではないな、と。


どこかでも書いたけれど、淡々とペースを保って仕事をするのが好きなので、
落胆するような出来事に振り回されるのは本意ではない。


悔し涙は、結局のところ、自分の思うとおりにいかなかった涙で、
「自分の思うとおりにしたい」という傲慢さが自分の根底にあって、
「まぁ、そう思うとおりにいかないもんだよ、世の中は」という「お告げ」なのかもしれない。


落胆したのは、期待してたから。
期待していたとおりにはならないものだと、思い知らされた今回の出来事。
涙を流すのは、人間らしいなといえば人間らしいか。