面白いという感覚の鈍化について

コロナ禍ということもあって、面白いと思うことが劇的に減った。
テレビを見ていても、ネットを見ていても、何をしていても面白いと感じることが格段になくなったように思う。
もちろん、これは個人の感覚の問題だ。
わたしには面白いと思えないことでも、他の人にとっては面白いこともあるだろう。


面白く感じられなくなっているのは、疲れているからかもしれない。
いろいろなことが面倒になってきているのは否めない。


この本を近いうちにまた読んでみようと思っている。
以前、一度読んだ気がするのだけれど、よく覚えていない。


面白く生きるのは自分次第だ、という気もするのだけれど、
自分で面白くできそうになくて、そもそも「面白い」と感じられるその感覚が鈍化していた場合はどうしたらいいのだろう。感情のセンサーの表面が真綿に包まれたような、分厚い手袋をはめられているような状態がずっと続いている。もしかしたら、過敏よりは、いいのかもしれない。敏感過ぎて、疲れる、精神的に消耗するというのはよくあることだ。


外出が制限されたり、閉塞感が感覚を鈍化させているのだと思う。
外出が怖いというその心理も。


それなら「外出せずに楽しめることをすればいい」という結論に向かいそうだけれど、それは何だろう。私の場合、映画やドラマを見る?読書?それとも創作?


生活は面白くなければいけないというルールはないけれど、
心のどこかで「面白さ」「楽しさ」を求めているのだと思う。
求めているけれど、なかなか得られないのでそれがストレスになっているとか、そういうのもあるのかもしれない。


面白いという感覚の鈍化について、もうしばらく考えてみたい。