隣の芝がどうでもよくなるとき

「隣の芝がどうでもよくなるとき」
というタイトルで書いてみる。


隣の芝が青く見えることもあるけれど、
最近は「自分の芝生」を青くしたいというか、「どんどん経験値を増やしていきたい」という気持ちが強くなってきて、
がんがん行こうぜモードになると、はっきり言って、隣の芝生はどうでもよくなる。


人は人、自分は自分。
人の目をいちいち気にしても仕方ないし、
自分のやり方が他の人にとって迷惑になるとか、なにか問題が起きるとか、
そういうのでなければ、
自分のやり方でやらせてもらう。
大切なのは結果が残せるか。どこまで設定したゴールに近づけるかだと、そう思うようになった。
もちろん、職種にもよるけれど、
私はとにかく「結果を残したい」と思う。設定したゴールに近づきたいし、そのために手を尽くしたいと思う。


もちろん、過程では大変だし、心身ボロボロになっていたりする。


しかしながら、大変さを周囲にアピールするのは好きではなくて、
大変でも平気なフリをすることが多い。
これはかなりストレスが溜まることで、
心身ともに泥沼になるので要注意だ。


なので、最近は暴風雨レベルの大変なことに遭遇したら「どうにかして逃げられないか」そっちに頭を使うようにしている。
「逃げる」がネガティブな響きなら、「負担を減らす」でもいい。
「どうにかして自分にかかる負担を減らせないか」
こちらのほうがポジティブなニュアンスになるかもしれない。


「あ、もう無理だ」と思ったら、そのときは全力で逃げる方法を考える。
潰される前に逃げる。
あるいは、自分にかかる負担を減らす方法を考える。
自分の身は自分で守らないと。


仕事だけでなく、人生一般においても、
負担になることは極力回避で。
苦手なこと、苦手な人には極力近寄らない。
年もとってきたし、自分をケアすることのほうが大事で、
無理をしないことが周囲に迷惑をかけなくて済むというのもわかってきたし、
倒れるまでやらないといけないことなんてない。
そう思うようになった。
思うに、昔は無理、無茶をしていたなぁと。


無理、無茶はしないけれど、
やりたいことはやりたい。
やりたいことをやっているとき、
隣の芝はどうでもよくなる。

というわけで、今日はこのへんで。