隣の芝生は青く見えるけど、実際言わないだけで大変だったりするんだろう。

月末になるとブログを更新してたのだけれど、
4月5月6月7月と、4か月まったく更新してなくて、
ここまで長い間更新していなかったのは、はじめてかも(たぶん)。

「書いて残したいことがあったら、書く」というスタンスは今も昔も変わってない。
それが、気楽でいいよね。


で、タイトル。
「隣の芝生は青く見えるけど、実際言わないだけで大変だったりするんだろう。」
言いたいことはここに集約されているのだけれど、
もう少し書くことにする。


うらやましいとか、憧れるとか、そういう気持ちは自然発生的なものだ。
それが嫉妬とか妬(ねた)ましいとか、そういうものになると、
とたんに苦しくなるから、要注意だ。


どうしても欲しいものがあって、でも得られなくて、
自分が持っているものを持っている人がうらやましくて、妬ましくて、嫉妬。


嫉妬したところで、自分が情けなくなるだけで、
自分がどれだけ足りない人間かを再確認して、
なんというか、努力して、あれこれがんばって、
でも、努力だけではどうにもならないことがあるのだ。


隣の芝は青く見える。
うん。そうだね。これはもうしょうがない。


でも、最近「隣の芝を管理維持するのも、実は大変だったりするんだろうな」と思うことがあった。
個人的なことでもあるので具体的には書けないけれど、
うらやましいような地位や評判を聞く人であっても、
その人がそれを維持するために、周囲の想像以上のことをしているのだということ。
地位があるということは、責任があるということ。「知らなかった」では済まされず、突き上げを食らうこともあるということ。
いやはや、大変だな、と。


大変なことがあってもそれを他の人には言わないので、
他の人は内情(実情)を知ることもなくて、
表面だけを見て、その人の芝生を判断しているという…。


表面だけを見て、判断してしまうのは、これまた仕方ないことだと思う。
いきなり誰にでも本音をさらけだすのは、至難の業だと思うし、
逆に、いつも本音をぶつけて憚(はばか)らないのも、無粋でデリカシーがないと思うし、
本音が時折見え隠れするくらいが、人間らしくていいなと思ったりする。


隣の芝生が青く見えて、落ち込んだり、不安になったりすることもあるけれど、
まぁ隣は隣で大変なこともあるんだろうな、と
下の本を読みながら思ったわけで、

長くなったので、今日はこのへんで。