ゴールが見えない不安

本当ならこんな風にブログを書いている場合じゃないのだろうけれど、書いた方が心の整理ができるような気がして書いてみる。


仕事が難局を迎えている。
簡単に言えば、難しい仕事が続いている。
なかなかゴールが見えない。
不安になっている。


こんな風に不安になるのはどれくらいぶりだろう?


だいたいにおいて、「今まで何とかなってきたから、これからも大丈夫だろう」とそういう思考の持ち主なのだけれど、今回ばかりは、相手(仕事)が悪いというか、自分の能力の範囲を超えるというか、ぶっちゃけ超えているんだと思う。


仕事を引き受けたとき、時間はかかるだろうけれど、できないことはないだろうなと楽観的だったのだけれど、いやはやその楽観さがあとになって自分の首を絞めることになるとは…。


なんというか、「経験」になると思ったんだよね。


経験至上主義みたいなところがあるのは自分でもわかっている。
経験、場数を踏む、0を1にする…どれも好きな言葉だ。


いろんなものをかき集め、積み上げて、そうして自分の実績を作り上げることに熱中してきた。


ゴールが明確で、時間的な締め切りがはっきりしているものが好きだ。
プレッシャーやストレスはあるけれど、とりあえずゴールがあるのだから、そこまでたどり着けばいい。
たとえ満身創痍になろうとも…と書くと大げさだけれど、ゴールにたどり着いたときは心身共にボロボロになっていることは多い。


が、今回の場合、そのゴールそのものが見えなくて、見えてこなくて、焦っている。
砂漠から砂をバケツに詰めて運び、10トントラック満杯にさせなければならない感じだ。
1人で、手作業で(ショベルカーとかそんなものはない)、しかも予定では10トントラック4台分を満杯にさせなければならない。
加えて、運ぶ砂は4か所から別々に持ってこなければならない。勿論、時間的な締め切りもある。


だから、こんな風にブログを書いている場合ではないのだけれど、書いているうちに10トントラック4台分の仕事のうち、だいたい2台分は満杯になっていることに気づいた。最終チェックはまだだけれど(まだトラックを出発させることはできないけれど)、とりあえず積み込んではいる。残りは2台分だ。2台分なんとかすればいい。(…こ、これはゴールが見えてきたと言ってもいいのでは?)


AIやさまざまなツールが仕事を助けてくれる、楽にしてくれるというけれど、まだまだそれら(AIとかツール)だけじゃ仕事は完遂できない。微妙な調整(修正)、創意工夫、必要なものはたくさんある。人の手で、人の思考でどうにかしなければいけないものは必ずある。どうしても手がかかる部分は存在して、かつ投げ出せず、そういうめんどくさいところもあるのが仕事なんだろうな、と。


さて、仕事に戻りますか…。