ブログの中には「自分の中から生まれたもうひとつの自分」がいる。

なんとも長いわかりにくいタイトルになってしまいましたが、んー、まぁいいです。


これだけ文章を毎日書いているとブログの存在感というのは、少なからず生まれてきているだろうな、と思いますね。更新するたびにRSSで全文配信されているはずなので。


ブログを書くことは私の生活の一部ですし、もし事故かなにかで全文章を失えば、ものすごい喪失感に襲われるでしょうね。それはどのブロガーもサイターも同じだとは思いますが、その喪失感というのは、愛着があるからこそ生まれるものだと思います。愛着があるもの、常日頃使っているものを失くしたりすると凹みますよね。おそらくブログもそうだと思います。ええ、しかもブログは自分だけのブログで、他に代わりはないのですよね。バックアップは別として、自分のブログはひとつしかない。自分のブログは自分で守るしかない、そう考えた方がいいのかもしれません。


ブログの中には「自分の中から生まれたもうひとつの自分」がいるとそういう風に思いました。なんていうのかな、「言葉で表現する形をとった自分」と書いたらいいのかな。それはリアルの自分とはイコールではないのですけれど、一部ではありますね。言葉は自分の中から出てきたものですから。


そして、そのブログの中の自分は、装いたいように装うことも可能だったりするのですよね。言葉で着飾ることも可能です。言葉を駆使し、読者にイメージさせたいようにイメージさせることも可能。ええ、別にそんなことはしないで素のままでいくというのであれば、それはそれでいいと思います。


自由に表現する場としてのブログ。自分の領域っていうのかな、テリトリーと書くとかっこいいですけれど、自分の城みたいなものなんだと思います。ブログって。
自分の部屋みたいなもの、かな。自分で壁紙の色やデザインを選んで自分好みにする。楽しいですよね。ええ、ブログ楽しんでいいと思います。

ブログの中には「自分の中から生まれたもうひとつの自分」がいる。

自分の中から生まれた言葉という表現の形をとったもうひとつの自分。
そう考えると、ブログに書いたものをあとから読むというのは、自分を新たに見直しているということなのかもしれませんね。自分を再確認するという感じでしょうか。
過去記事を読んでみると、へぇ、私ってそんなこと考えていたんだーと再確認することあったりしますね。ええ、面白いとともに恥ずかしかったりします。一年前の自分の記事でも読むと恥ずかしくなってきますね。ええ、昔の自分の写真を見るみたいで、恥ずかしいですw