泣いても一生。笑っても一生。

泣いても一生。笑っても一生。
泣いても笑っても一生は過ぎてく。
それなら笑うほうを選んで、楽しく笑っていたい。


シリアスなのは基本的に苦手だ。子どもの頃からわりと自由奔放にしていて、仲のよい友達もいたけれど、ひとり遊びも好きだった。竹山を探検ごっこしたり、小川のはじまるところが見たく上流へ上流へ歩いて行ったり。楽しかった。いつも笑ってた。


心身ともに(体力的、精神的に)余裕がないとなかなか笑えないというのはある。体調が悪くても。
余裕や体調は大事。まあそういうことになるのかな。


最近はできるだけ予定を詰めこみすぎないようにしている。無理をすると(忙しすぎると)必ず体調を崩す。精神的にも余裕がなくなる。いっぱいいっぱいだと思わぬ失敗をしたりトラブルに遭ったりする。そういうときポジティブにはなれないものだ。


悪いことは長くは続かない。雨はいつかやむ。たとえそれが嵐であっても。


泣き続けても何も変わらない。泣いたあとはスッキリするから泣く効能はあるかもしれない。


泣いても一生。笑っても一生。
どうせいつか終わる一生なら、笑っていたい。
口角をあげていたい。


楽しいことは自分で見つける。
わたしはそうしてます。


乾麺は便利。乾麺のチャンポン麺、茹でたらモチモチ食感で美味しかった。

いただきものの乾麺がいろいろあったので最近それらを調理するのにハマっている。まあ、ハマるというか、麺料理が続いているというか。


乾麺だと生麺と違って日持ちする。これは良い。
一応賞味期限はあるけれど、生麺よりもずっと保つ。


乾麺というと、インスタントラーメンがポピュラーかもしれないけれど、チャンポン麺の乾麺もあって、お土産でいだいいたものを作って食べたら、美味しかった!
乾麺だけれど、茹でたらモチモチに!そうそう、チャンポン麺はこの食感!


乾麺のチャンポンの作り方
1.チャンポンのスープ(付属のスープ)を水かお湯(だいたい一人前360cc)に溶かしておく。


2.切ったお肉とかキャベツとかニンジンとかカマボコ、もやしなどを少し深めのフライパンで炒める。(あとでスープを投入するため)


3.乾麺のチャンポン麺を4分ほど茹でて、ザルに取り上げておく。


4.2の炒めた野菜や肉入りのフライパンに1のスープを入れて加熱。スープがよい感じに熱々になったら、3の4分ほど茹でた麺(元乾麺)を入れて、1分くらい煮こむと出来上がり。


乾麺は4分茹でただけではまだかたいこともあるので、そこは適宜茹で時間を増やします。




これはいただいたものとは違うけれど、普通に乾麺のチャンポン麺はスープ付きで売っているみたいです。

五木食品 スープ付ちゃんぽん 360g×5個

五木食品 スープ付ちゃんぽん 360g×5個


キャベツとかモヤシとか野菜をモリモリ食べたいときチャンポン良いです。


普通のインスタントのチャンポンもあります。

マルタイ 長崎ちゃんぽん 93g×12個

マルタイ 長崎ちゃんぽん 93g×12個



通っていた英会話教室の話

英会話教室には2箇所通ったことがある。
はじめて通ったのは、わりと大手の英会話教室で、プレイスメントテストをした結果、初心者クラスで日本語で質問ができる日本人の先生が良いだろうといわれたのを覚えている。
レッスンは週に1回確か40分、少人数のグループレッスンだった。
先生は留学経験がある日本人の女の先生。30歳くらいだったと思う。ユーモアがあって面白い先生だった。


その英会話教室ではテキストにしたがって会話練習するのだけれど、あまり役にたつとは思えなかった。
もっと自由会話的な英会話が話せるようになりたかったので、コースが終わったらそこはやめようと思っていた。1年コースで申しこんで(契約して)いたので、きっちり最後まで通った。料金は、よく覚えていないけれど1年で20万くらいだったような気がする。


グループは3~4人。結構入れ替わりがあって、いっしょにレッスンを受けたひとをよく覚えていない。記憶に残っているのは、美容師のお姉さんひとりくらいだ。
髪型が個性的なとてもきれいなお姉さんで「いつかは海外で美容師として働きたい」と言っていた。
ある日そのお姉さんが手や顔に怪我をして教室に現れた。事故に遭ったそうで、かなりの大怪我だった。それでもレッスンは休まなかった。すごいと思った。
もっとすごいと思ったのは、翌週顔の怪我がわからないようバッチリメイクして現れたこと。「職業柄カバーメークは得意」とのこと。
多少の傷跡やシミはメイクでわからなくてきるし、ファンデーションも専用のものもあるとのこと。そのお姉さんと話すのは楽しく、お互い英会話は上手にならなかったけれど、英会話教室をやめてもたまに会っておしゃべりしたいそんなお姉さんだった。



2箇所目の英会話教室は、サークルに近い感じで、複数のネイティブの先生が開いている教室だった。レッスン中日本語は禁止だった。質問も英語でしなければならなかった。
ここも週に1回のグループレッスンだったけれど、1グループが15人前後と多く、グループ内メンバーの英語のレベルもさまざまだった。


そして女性が多く平均年齢が高かった。レッスンの内容は基本的に自由会話で、テキストは無し。英語なら好きなことをなんでも話してOKだった。グループ内の平均年齢が高いので、話す話題は健康の話とか旅行の話、孫の話、親の介護の話、病気の話などが多かった。これらの話に興味がないと正直言ってつまらないし、グループ内のメンバー性別、年齢は重要かもしれない。
この教室では好きなことを話せるのはよいのだけれど、15人もいると、発言する回数はおのずと限られてくる。
もう長く英会話を習っていて英語がぺらぺらの人が長々と話し続けて、先生からストップが入ることもしばしばだった。その人が話しはじめるとその人の独演会のようになるので、ひそかにその人は嫌われていた。新入りで、しかもあまり話せないわたしは黙って聞いているばかりで、だんだん行きたくなくなっていった。


まぁリスニングの練習にはなるし、語彙も増えるし、グループレッスンを休んだ場合、プライベートレッスンに振り替えもできる(要予約)のでその点はよかった。プライベートレッスンには数回通ったけれど、希望する時間に予約がなかなかとれないのが難点だった。


こちらは月謝制で1レッスン60分月4回で5000円。どのレッスンも定員いっぱいいっぱいで、新規の生徒募集はめったにしない、とのことだった。
たまたま空きがあって入りこめたけれど、グループに15人もいるとなかなか発言できず、言いたいことも言えないまま60分が終わることもしばしばで、これではいくら通っても上手にはならないだろうな、と思った。プライベートレッスンは35分と短いけれど、いろいろ話すことができて通う価値はあった(でも人気があって予約がなかなかとれない)。


最近また英語を勉強しているところで、特に会話ができるようになりたいと思っている。今思っているのは、どこかの教室に通うよりも「スカイプでネイティブの先生とマンツーマンで英会話」のほうが上達するかもしれないということ。最近はいろいろなところがやっていると聞く。


わたし自身テキストにしたがって、というのが好きではなく、そもそも使用されるテキストも合う合わないがあるので、前もってチェックが必要だと思う。ひとつめの英会話教室では退屈なテキストを見ながらしゃべらされて、なんというか時間がもったいなかった。基本的な会話から・・・ということなのだろうけれど、わたしがしたいのは友達や同僚と話すような自由な会話だった。


プライベートレッスンは基本的に短いし料金も高い。けれど効果はあると思う。あとは、先生との相性もあるかと…。
先生の中にはとても厳しい先生もいて(もちろん日本語一切禁止)、わからない単語の意味をいちいち教えない先生やレッスン中辞書は使用不可の先生もいる。そのことについては「類推力をつけましょう」的なことを英語で言われた気がするけれど、やはり意味がわからないとちんぷんかんぷんで、そのうち「この話はどうでもいいや」となってしまう(理解放棄)。ていねいで優しい先生もいる。いるけれど、人気があって予約がとりにくい。あとは、話題。グループレッスンの場合、いくら自由会話でもどういうことを英語で話したいか、自分の中にその話題がないとレッスンに行ってもお地蔵様になってしまう。ひたすら他の人の英語を聞いて、レッスン時間が終わってしまうことに。


ざっと書いてみたけれど、英会話教室は本当に玉石混交なので、よく調べて体験レッスン等してから慎重にはじめたほうがいい。いつレッスンがあるか、もしそのレッスンにいけなかった場合振り替えレッスンがあるか、その予約は難しくないか等。


数年英会話教室に通って、まったく英語を使わなかった職種からネイティブの外国人の秘書(兼通訳)になった知人もいるので、まじめに通えば、あるいは本人に語学の才能があれば、仕事につなげられると思う。


オンライン英会話の教科書

オンライン英会話の教科書

オンライン英会話 すぐに使えるフレーズ800

オンライン英会話 すぐに使えるフレーズ800

英会話イメージリンク習得法―英会話教室に行く前に身につけておきたいネイティブ発想

英会話イメージリンク習得法―英会話教室に行く前に身につけておきたいネイティブ発想

英会話イメージリンク習得法―英会話教室に行く前に身につけておきたいネイティブ発想

英会話イメージリンク習得法―英会話教室に行く前に身につけておきたいネイティブ発想


「居場所があれば生きていける」ということ

心に残ったのは第4章居場所の作り方。
居場所があれば生きていける」これは本当にそうだと思う。


どこにも自分の居場所がない、そこに自分がいてもいいと思えない、そこにいても落ち着かない、自分の必要性を感じないというのはつらいものだ。人はやはり必要とされたいと思うし、あまりに必要とされすぎて依存されすぎるとそれはそれでつらいのだけれど、やっぱり基本的には必要とされたい、そこにいてほしい、そう思われたいものだ。


自分の有効性とか価値とか、そういうものも関係してくるのかもしれないけれど、特定の場所で必要とされないとみなされたとき味わう屈辱感、虚脱感、そしてもうどこにも自分の居場所などないのではないかと思ってしまう無力感、劣等感。就活でお祈りメールをもらったり、人員整理で仕事を辞めざるを得なくなったり、失恋したり離婚したり、そういった居場所をなくす経験をしてみると、居場所というのは本当に大切なものだなぁと改めて思う。


まずは居場所。落ち着いてご飯を食べ、くつろぎ、眠る場所を大切に。
職場がいちばん長くいる場所という人も少なくないと思うけれど、職場と自宅だけで他に行くところがないとなると、視野狭窄に陥ってしまいそうだ。人間関係も本当にごく限られて固定化してしまう。井の中の蛙でも悪いことはないけれど、水が濁ったり腐ったりしても逃げ場所がないというのは問題かもしれない。


趣味仲間がいたり、気軽にいける場所、行きつけの場所が職場以外にあると良いというのは最近よく思うことだ。わたしの場合、中国語教室やボランティアがそうなのだけれど。以前、英会話のサークルにも入っていたけれど、メンバーとか英会話のやり方とかそういうのが合わなくてやめてしまった。そのことについては、いつかまたあらためて書くことにしよう。


「ああ、ここは合わないな。居心地が悪い」そう思ったら、ぐだぐだ悩まずに抜け出すことだ。仕事だとそういうわけにもいかないけれど、サークルとか習い事とかなんとか教室とか、憂鬱な気分になってまで行くところではないと思っている。毎回行くのが楽しい、楽しみでしょうかない。そういう場所をひとつかふたつ、持つようにしたい。いろいろ探してやっとみつかるかもしれないし、行くうちになんとなくそうなるかもしれないし、まぁそれはケースバイケースだろう。でもまぁこういう場所もあまり固執するのは好きではないので、まったりと細く長くゆるくつながっていたい。居場所における居心地は大事。まあ居心地が悪くても何らかの理由でそこを去れない場合、自分で居心地よくするというのもひとつの手だと思う。何もしないで文句をブツブツ言ったりイライラするよりずっとよい。普段から自分で自分を楽しませる、居心地よくする達人になりたいものだ。


しないことリスト

しないことリスト

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法


東京タワーの思い出

東京タワー―オカンとボクと、時々、オトン (新潮文庫)

東京タワー―オカンとボクと、時々、オトン (新潮文庫)

先日テレビで東京タワーを見た。そして東京タワーにのぼったときのことを思い出した。
東京タワーにのぼったことは2回。
子どもの頃旅行で親に連れられてのぼったのと大人になってからと。
大人になってからのぼったときは夜だった。


東京タワーから見た夜景はきれいすぎてこわいくらいだった。昼間高層ビル群を見たときもすごいと思ったけれど、夜景のほうが私は好きだ。これほどの風景はここでしか見れない。この風景を一言で言い表すのなら、繁栄。いや、栄枯盛衰も書き加えた方がいいかもしれない。繁栄や発展の陰には少なからぬ消滅や消失といったものもあったはずで、失われたものは忘れられていくものだ。忘却の彼方にあるものを見つけることは容易ではない。私の子ども頃の東京タワーの思い出がそうであるように。


私の場合、思い出をふりかえる習慣になく、どこかに記憶を封印しながら目の前のことに夢中になっている。そんな自分を刹那的だとも思うけれど、多分生まれつきの性格がそうなのだと思う。思い出はなくなったわけではない。東京タワーもそう。いつもそこにある。見れば思い出す。それでいい。この考え方も昔から変わっていない。


思い出だけでは生きられない。でも思い出があるから生きられるとも言える。思い出のみに囚われることなく、また思い出をかき捨てることなく、心のどこかにそっと携えつつ、それでいて軽やかに穏やかに日々をすごしていきたいものだ。


東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

東京タワー (新潮文庫)

東京タワー (新潮文庫)


今週のお題「卒業」―卒業は「通過点」。これから起こることを楽しみにする。

今週のお題「卒業」


今までも何回か書いたけれど、わたしは自分のブログを振り返って読むことがほとんどない。
ふりかえると、まぁいろいろと考えたり思うことがにじみでてくるけれど、それらは心地よいものばかりではない。思い出したくないことも乾ききったご飯粒のミイラのように記憶のところどころに貼りついていたりする。まぁ貼りついていたからなんだとも思う。もうすっかり乾ききって、ミイラ化したご飯粒をわたし自身も忘れてしまっている。記事を読めば思い出すけれど、読まなければ思い出さない。そんなものだ。


今週のお題は「卒業」ということだけれど、ことさら卒業に関して感慨深いものを感じることがなく、卒業式で泣いたこともない気がする。寂しいとか感傷にひたるというより、それまで縛られていた学校という組織から解放される、その嬉しさが勝っていたように思う。これから起こることのほうが楽しみで、ふりかえったところでそれらはすべて過去のこと。もうそこには戻れないし、そのときそのとき精一杯やっていたから、もうそれでよいではないか。そこでやるべきことはやった。だから次のステージへ行く。まぁステージが進んでも、なんだかんだと悩ませることやストレスなことはふりかかってくるだろうけれど、そのときはそのとき。「経験値が積める」と思って落ち着いて対処しようと思う。


「卒業」は区切りであるとともに、通過点でもあるように思う。大事なのはこれから。まだまだ人生は続く。続いていく以上楽しみながら、いろいろなことをやっていきたいものだ。自分を楽しくさせながら、と書いてもいい。とりあえず、卒業という通過点に自分をもっと褒めてあげてもよかったのかな、と今になって思う。窮屈な学校、やりたくないこともやらされた学校からよく逃げなかったものだ。我慢とか忍耐を覚えることができたので、まぁよかったといえばよかったのか。学生時代、楽しかったこともいろいろあったはずなので、その楽しかったことを思い出せるくらいの時間や心の余裕がほしいものだ。




挫折した英語をもう一度…

「英語を話せる人」と「挫折する人」の習慣 (Asuka business & language book)

「英語を話せる人」と「挫折する人」の習慣 (Asuka business & language book)

実は英語はあまり得意ではなくて、話せるかといえば、話せません。ええ、ほとんど。英語を聞いてわかるかといえば、うーん、話の内容にもよりますが、読むよりはできないかな。読むほうはまあなんとか。


今必要に迫られて、英語を勉強しなければならなくなって、また途中で挫折しないためにもここに書いておこうかと。
英語の勉強といってもいろいろありますが、今回はTOEICなどではなく、英語で日常会話を話せるようになる、speakingですね。はい。がんばります。


ブログも勉強ネタ、英語ネタがこれから増えるかもしれません。英会話教室に行ってたこともあるので、そのときの体験談なんかもそのうち書いてみようかと。


ではまた。