まなめ氏のブログ 304 Not Modifiedの中の
嫌われないようにするか、好かれようとするか。
の記事に関して私が考えたことをアップしてみます。
さて、なんとも魅力的なタイトルですね。
嫌われないようにするか、好かれようとするか。
なんとも絶妙なタイトルです。
304 Not Modified
嫌われないようにするか、好かれようとするか。
この記事の中で管理人まなめ氏は、
だから私は、サイト論というジャンルを分散の大きな正規分布のようにとらえているのです。
この、メッセージ性の強さはサイト人気のバロメータでありながら、
反面分散の高い正規分布を描くことで好きという人がたくさん出てくる反面、
嫌いという人も出てきやすいものなのではないだろうか。
という私の考えを、どうか否定してみてください。
というように読者に挑戦してきています。
これはいわゆる燃料投下というやつでしょうか?
私の考えを、どうか否定してみてください。と書くまなめ氏は、なんてMなんだろう、
とそう思ったりしました。
あなたに、この考えを否定してもらいたくて
とあったので、よし、それじゃ否定してみようかとw
<まとめ>
好かれるサイトはメッセージ性が強い。
叩かれるサイトはメッセージ性が強い。
私は叩かれないことよりも、好かれることを選びたい。
この<まとめ>は、否定しません。
ただ、メッセージ性の強いものを嫌う人もいるのも確か。
私自身、メッセージ性の強いものに傲慢なものを感じたりすることもあるし。
もっとも書いた本人がそう思っているから書いたんだ(=表現の自由)と言えば、
それまでなんですけどw
でも、やっぱり私は誰かに好かれたいんですよ。
ウェブで情報発信していてうれしいことと言ったら、読者の反応が一番なんです。
だから、少しくらい叩かれるリスクを負っても、好きって言ってくれる人が多い方を、
分散の大きい方を選択したいのです。
はい。分散の大きい方を選択する、それはわかります。
好きって言ってくれる人がたくさん現れる確率が高いほうを選ぶわけですよね。
叩かれる可能性があったとしても。
ただ……
さて、ここから否定に入ります。
だから私は、サイト論というジャンルを分散の大きな正規分布のようにとらえているのです。
この、メッセージ性の強さはサイト人気のバロメータでありながら、
反面分散の高い正規分布を描くことで好きという人がたくさん出てくる反面、
嫌いという人も出てきやすいものなのではないだろうか。
ここで304 Not Modifiedの管理人まなめさんがおっしゃっている正規分布は、
標準偏差は二次のレベルかと思われます。
私は「サイト論というジャンルにおける好き嫌い(もしくはブログの人気)」の分布は、
「正規分布には当てはまらない」とそう思っております。
私としては、
三次のレベル:歪度(三乗平均)つまり「データの偏り」を考慮するの方が適切ではないかと思うのです。
SKEWというやつです。参考:ウィキペディア 歪度(Skew から転送)
つまり「データが正/負のいずれの方に偏っているか」というのも考慮してみてはどうかなー
と思ったりしたのです。
私が正規分布じゃないと思う理由は、
たとえば、あるサイトの好き嫌いを100人に6段階で評価してもらったとして、
平均値は、3.5になるとは限らないと思うのです。
人の好き嫌いは、サイコロの目ではない。
人の評価は、もしかしたら、4とか5に集中して、平均値が4.5になるかもしれない。
(青の曲線:正の方向に偏っている)
万人に好かれるというのは、ありえないとしても、
6割7割方好かれるというのは、ありえると思うのです。
つまり、データの偏り(歪度)が生じる。
好かれるサイトというのは「正の方向に偏る」と思うんですよね。
私が作ったグラフで言うと青の曲線。
逆に、好かれることをするためにメッセージ性を強くすれば、
すごく気に入ってくれる人が出てくる分、
すごく気に入らないと思う人も同じ程度出てくるものだと思っています。
とありましたが、
データの偏り(歪度)によっては、
すごく気に入ってくれる人の数とすごく気に入らないと思う人の数は、
イコールにならないと思うんです。
つまり、同じ程度出てくるとは限らない。
人は、一般的にポジティブなものに魅かれるものだと思います。
サイトのメッセージ性の強さがポジティブであれば、
好きの評価の平均は6段階のうちの4とか5になるでしょうし、
つまりは、
叩かれること<好かれること というのは、可能だと思うのです。
<komoko的考察まとめ>
人の好き嫌いはサイコロの目ではない。
つまり、正規分布になるとは限らない。
メッセージ性が強いものでもポジティブなものであれば、
叩かれること<好かれること は可能だと思う。
まぁメッセージ性が強いということは、好かれもするが、叩かれもする。
誰でも好かれたいと思います。
できれば叩かれたくない。
んー、でも叩かれることを恐れて、メッセージ性を弱めるのは、
私はイヤですねぇ。
人の好き嫌い(評価)なんて、その人のその時の気分によって変わったりしますよね。
(特に女心は変わりやすいですからねー。女心と秋の空って言いますよねw)
まぁ、その人のその時の気分によって評価は変わったりするけれども、
評価値は、
サイコロの目のように、すべての数字の確率が1/6だとは思ってません。
正規分布にはならないと思います。
評価は変わるものだけれど、
人の感覚って基本的に心地よいもの(=ポジティブなもの)を選ぶと思うのです。
まぁ、中にはネガティブなものが好き、という人もいるかと思いますけど、
一般的に「ポジティブなものに魅かれる人」の方が多数ではないかと思います。
メッセージ性の強さだけが評価のバロメータではないんじゃないかな、と思ったりしてます。
確かにメッセージ性の強さによって好かれもするし、叩かれもするのでしょうけれど、
メッセージの強さ+メッセージのポジティブ性
を考慮すれば、
すごく気に入ってくれる人の数>すごく気に入らないと思う人の数になると思うのです。
かみんぐあうとっすると、
私自身、アレコレ文章を書く人だったりしますが、あまり人の評価は気にしませんw
確かに評価されたら嬉しいし、もっと書こうと思います。
逆に叩かれたとしても、私は気にしない。
文章を叩かれても、それで人生が終わったわけじゃないw
書きたいことを書くのに意義があるわけで、
嫌われないようにするか、好かれようとするか、
そんなに意識しなくてもいいんじゃないかと思います。
自分のサイト(ブログ)なんだし、好きなように書いていいと思うわけです。
まぁ好きなことを書くといっても、公序良俗に反しないとか、
そういうのはありますけどね。
好かれようとして妙に読者に媚びるのではなく、
嫌われないように妙に抑えて書くのではなく、
まぁ好きなように書くのがよいのではないかと、そんな風に思いました。
歪度(三乗平均)とか小難しいことを書いちゃったけど、
要するに
嫌われないようにする とか 好かれようとする とか
そういうのは気にしなくていいと思う。
自分が書きたいことを書くのが一番。
それでも
ついてくる読者はついてくると思う。それでいいんじゃないかな。
んー
ぶっちゃけ、書きたいことを書いて、そして継続する。
継続。
つまり更新するということ。
そのことが重要なんじゃないかと思ったりしますw