自分の評判。気にする?気にしない?

超訳 ニーチェの言葉』の中に

自分の評判など気にするな


誰だって、他人からどう思われているか知りたいものだ。
よく思われていたいし、少しは立派だと思われたいものだし、大切な人間の部類に入れてほしいものだ。だからといって、自分への評価を気にするばかりに、聞き耳を立てるのはよくない


なぜなら、人間というのは間違った評価をされるのがふつうのことだからだ。自分が思うように、自分が望むように評価してくれることなんかほとんどない。そういうのとは全然ちがう評価をされてるのがまったくふつうだからだ。だから、腹を立てないためには、自分の評判や評価など気にしてはいけない。他人がどう思っているかなんてことに関心を向けては絶対にいけない。そうでないと、本当は嫌われているのに、部長だの社長だの先生だのと呼ばれることに一種の快感や安心を覚えるような人間になってしまう。

とあります。

うーん。気にするな、とビシッと言われても、なかなかそうもいかなかったりしますね。
ネットだとエゴサーチする人もいたりしますね。やっぱり自分の評判が気になるからでしょうか。


そうですね、気にするな、と言われても気になるときもありますし、でも、まぁ気にしてもしょうがないから気にしないというのがわたしかな。
自分が気にするほど、まわりは見ていなかったりしますし。まぁ、その逆で、見られていないようで見られていたりというのもあるわけですが。


まぁ、自分が思っているようには見られていなかったり…というのはありますね。ギャップがあるというか。
だからこそ、評判が気になっちゃうのかな。
ニーチェの言葉であったように

自分が思うように、自分が望むように、評価してくれることなんかほとんどない。

と思ってたほうがいいのかも。
自分が思っていた評価とはちがって、過大評価されたりという場合もありますし、人によって評価がちがうのもまぁよくあることですよね。人それぞれものさしがちがいますし、価値観や見方、考え方もちがうので、評価もそれぞれちがってくる。
人それぞれ評価がちがって、またその人のそのとき気分や状況でも評価は変わったりしますし。
美味しいと評判のお店も、いつまでも美味しいとは限らないのですよね。一度食べて美味しかったので、久しぶりに食べに行ってみたら、あれー?って首を傾げたこともありますし。


まぁダラダラと書いてしまいましたが、そうですね、評判っていくらでも変わりうるもので、まぁ評判ばかり気にしてもしょうがないかな。
「評価してくれる人はきっと評価してくれる」と信じてがんばったほうがいいような気がします。


今読んでいる本です。

超訳 ニーチェの言葉

超訳 ニーチェの言葉