評価とか影響とか

評価とか影響を気にするというのは、どういうことなのかなとふと思ったりした。自分の評価、自分の影響力みたいなものを知りたいというのは人には少なからずあるのかな、と。


自分の評価が気になるというのはわかる。他者から自分がどんな風に見えているのか。気にならないという人もいるだろうけれど、気にする人の方が多いだろう。


ゴーイングマイウェイ。わが道をいく。と言いながらも、他者と多かれ少なかれなにかしらつながっていたりするわけで、案外他の人は自分を見ていたりするわけで(見ていない場合も多いのですけれど)、まぁそんなのいちいち気にしててもしょうがないよーという考え方で突き進んでもいいのだけれど、ふと他者の目を意識したとき、自分がどういう存在なのか確認してみたくなるというのはあるかもしれない。


こんな自分であったらいいなという理想やイメージに近いもので他者がみてくれていればうれしい。


人によってはしばしば影響力とか存在感にこだわったりする。まぁそれは承認欲求によるものなのかなとも思ったりするけれど――つまり、どれだけ自分の影響力、「力」を示せるか。うーん、影響力があるからすごいと、そういうことになるのかもしれないけれど、影響力があるということで、まぁ本人的には満足するのかもしれない。注目を浴びると快感を覚える人もいるわけで、有名になりたいと思う人は多いみたいだ。


ブログやTwitterで有名になることもできる。有名になって、それでどういうメリットがあるのかわからないけれど、まぁたぶんメリットがあるのだと思う。自尊心を満足させることができるというメリットがあるのかなと思ったり。
わたし自身、有名とかそういうのは全然気にしない。というかどうでもいいことで、むしろ、有名無名に関係なくブログやTwitterで声をあげられるということのほうがすごいことで大事なことだと思う。


評価や影響力というのは、確かにあるわけで、それを否定するつもりはないけれど、評価は読み手によってそれそれの視点・基準で勝手にされるもので、かなり曖昧なものだったりする。Aという人はすごくほめていたけれど、Bという人は批判していたり。視点がちがうので評価もちがって当然だったりする。


人の感覚はそれぞれちがうものだから、いちいち評価を気にして一喜一憂していたら疲れるだけで、評価を気にするより、実際に自分がどれだけのものが書けたか、仕事だったらどれだけのことができたか、そっちの方に重点をおくべきなんじゃないかなと思う。
評価はあとからついてくる。評価してくれる人はしてくれる、という考え方もあるわけですし。


やることやらないで、それで評価されよう認められようというのは無理な話で、なにごともやってみてからでしょ、とそんな風に思う。


「やってるよ、一生懸命やってるよ!」という場合も、案外その一生懸命がズレていたりする場合がある。客観視できていないというか、いやそんな風に頑張っても効果はないと思うんだけど……ということある。本人は気づいていなかったりする。読み手のほとんどはサイレントマジョリティなので、悪い部分があったとしても声に出して言ったりはしない。たいていは「あー、つまんね。読む価値ないね」で終わってしまう。もしくは「読むだけ時間の無駄だった」と思うかだ。悪い部分を指摘してもらえるというのは、実はありがたいことで、わたしがよく書いていることだけれど、仲良しこよしで内輪で褒めあっているだけだったら、発展や成長はない。その状況、その現状で満足してよしとしてしまう。


つまりは、厳しい評価、具体的な指摘というのは実は喜ぶべきことなのかもしれない。視点がちがえば評価はちがう。満点をもらえばそれはそれでうれしいことだけれど、その満点に満足して、実は重大な、偏り的なものに気がつかなかったりということはあるかもしれない。



話を戻して、一生懸命書いているのになぁ評価されないなぁという場合多い。一生懸命書いたものが評価されるとは限らない。「一生懸命書いたという行為」は評価されるかもしれないけれど、「一生懸命書いた文章」が評価されるかどうかはまた別の問題だと思う。


人はしばしば評価されたがり、よい評価をもらいたがるとして、しかしながら評価をするのは他者。あくまでも他者の視点で評価されるもので、自分としてはやっぱりやることをやるしかないんじゃないかと思う。
影響力もそうですね、影響される人は影響されるし、影響されない人は影響されないけで、評価同様、かなり曖昧なものだったりする。影響力があることによるメリットもあればまぁデメリットもあるわけで、有名になって注目されすぎるとまぁ疲れるという面あります。TwitterのPOSTがひとつひとつがチェックされるようになると、うーん、息苦しくなってしまいますね。そうはならない人もいるかもしれませんが。


だらだらと書いてしまいましたが、結論としては、

  • 評価というのは人によって変わるもので、あてにはならない。
  • とはいえ、厳しい評価、自分の悪いところを指摘するものは、忌避するものではなくむしろ自分では気づかない部分を教えてくれる貴重なものだったりする。
  • 一生懸命書いたとしても評価されないというのはよくあること。案外気楽に書き散らしたものの方が評価が高かったりもする。

と、こんな感じでしょうか。


まぁ、ブログであれば評価は気にせず書くことでしょうか。
影響力という点については、影響力があるからすごいということになるのかもしれないけれど、まぁ影響を受けない人、賛同ではなくむしろ反発する人も出てくることは十分ありえるわけで、うーん、その影響力がどういう方向で及んでいくかというのは本人自身関与できない部分で、思わぬ方向に影響が及んでしまったということもあるだろうなと、そんな感じでしょうか。