あいた時間の行方。

昭和の家事 (らんぷの本)

昭和の家事 (らんぷの本)

昔の方が家事はたいへんだった。けれど喜びも大きかったにちがいない。
喜びも多かったというか、やりがいもあったと思う。
昭和の家事を写真とふんだんにまとめたこの本はとても興味深い。
昔はもっと針仕事も多かったのだと思う。


家事に終わりはないような、そんな気がする。
体調が悪いときはやはり家事をやっていられないというのはある。
けれど、まったくやらないままではいられないのが家事。
特に食事作り。次に洗濯。


昔は、家事に時間をとられすぎて、自由な時間はほとんどなかったのではないかと思う。
一方、今は家電も充実しているし、服も縫わなくてもよい。漬物もおせち料理も買うことができる。


主婦の家事をしなくてもよい時間、つまり、あいた時間はどのように変化しているのだろう。主婦のあいた時間は、外で働くことへとシフトしはじめているのかもしれない。


収入がなければ生活はしていけない。収入は少ないよりは多いほうがよい。たぶんそう思う人は多いのではないかと思う。


家事を一生懸命やっても認められない、ほめてもらえないというのはある。家事をするのは当たり前で、当然のこと。
ほめるようなものでもないとなると、やる気が出ないのも仕方ないのかもしれない。


ただ、生活していく上での家事をする力、家事能力というのは、やはり必要なように思う。
ひとりであれ、家族と暮らすのであれ、するしないにかかわらず、やればできるという家事能力。


なんだかよくわからなくなってきたけれど、ここまで書いて消すのももったいないので、最後まで書く。


家電や市場経済、さまざまな商品の普及により、昔より自由な時間は増えている。自由な時間を確保することは可能。あいた時間をどう過ごすかもまだ自由。その人にかかっている。


あいた時間を霧のように霧散させてしまうか、有意義に使うか、それはその人次第かな、と。