ネットでは饒舌。リアルでは寡黙な人。

ネットでは饒舌。リアルでは寡黙な人。

っていらっしゃいますよね。


直接的(リアル)コミュニケーションとネットにおけるコミュニケーションはどうちがうのか、その差異について考えていて、それに関しての文章も書いているのですが(いつか本を出したいので)、そうですね、リアルで人づきあいがいいっていうのかな、コミュニケーションが潤滑な人が必ずしもネットにおいても同様かというと、そうでもないのかな、と。あるいは、逆の場合もあるかもしれません。ネットではコミュニケーションがうまいけれど、リアルではそうでもなかったりという場合もあるんじゃないかな、と。

  • ネットでは饒舌。リアルでは寡黙な人。


オフ会等に参加すると、そうですね、『ネットでは饒舌。リアルでは寡黙な人』いらっしゃいます。寡黙とまではいかないけれど、ああ、この人は本当はあまり喋らない人なんだな、と。なんていうのかな、本当はリアルでも饒舌でいろんなことをしゃべりたいのだけれど、実際に人を前にすると喋れないということもあるのかな、と。

リアルの反応、ネットの反応

リアルだと反応がわかりすぎるというのはあります。反応がなくてもイヤだし、思ったような反応じゃないと凹んだりというのもありますし。異性だと意識してしまうというのもあるかもしれません。普段同性とばかり話していると、異性と話すときどう話していいものかわからない。構えてしまうというのもあるのかもしれません。


ネットだと、画面越しですよね。ネットの向こう相手の表情は見えない。だからこそ、言いたいことを言えてしまうというのはあると思います。匿名だとなおさら、言いたいことが言えてしまうというのはあると思います。
まぁ反応については、ネットの方が露骨に言葉で表されて、それを目にしてつらいという場合もあったりしますね。

ヤマアラシのジレンマ

やはり人はコミュニケーションをとりたいと思うものだと思います。
何日も誰とも話さず、会話をしないで、ええ、それでも平気だという人もいるかもしれませんが、んー、やはり、誰かと話をしたい。たわいない話をしたい、馬鹿話をしたいというのはあると思います。


ヤマアラシのジレンマという言葉がありますが、そうですね、ある程度の適度な距離で対話してというのがコミュニケーションとしては主流なのかもしれません。いきなりシリアスな核心的なことを打ち明けられても、打ち明けられたほうも困りますし、それについて的確なアドバイス等できるという人は稀だと思います。


グレーな部分、曖昧な部分のこと

女性の場合、ただ話を聞いてくれればそれでいい、というのもあります。男性の場合、問題解決的な方法に持っていくことが多いようですが、女性の場合は、根本的にどうにかしたい、とにかく白黒はっきりさせたい的なことは案外少ないように思います。
いえ、例外もあって、わたしはわりとはっきり白黒つけたいタイプでした。ええ、過去はそんな感じでした。が、そうも言っていられないんだな、というのは、歳をとるとともに社会人経験をするうちにわかってきて、グレーな部分もあるのが世の中なんだと。白黒はっきりつけられないこともあるのだと。
曖昧な部分もあるのが人の気持ちだったりしますし、ええ、それはそれでいいんじゃないかなと思うのです。


言葉の受け取り方は人によってちがう

それでも、できるだけ表現は、コミュニケーションにおける表現はシンプルでわかりやすいものにしたいとそう思います。
どう受け取られるかは、実のところわかりません。そういうつもりじゃないのにという受け取られ方をされることもあります。ネットだとなおさらですね。表情が見えない。言葉がすべてな世界です。言葉の受け取り方は、人によってちがいます。


例えば、「馬鹿」という言葉ひとつをとっても、受け取り方は人によって差があります。
例えば、「氏ね」という言葉。
軽く簡単に「氏ね」と言う人もいます。それを重く受け取ってしまう人もいます。
disられて軽くスルーする人もいれば、スルーできずに悶々と悩む人もいる。


ええ、言葉の受け取り方は人それぞれ違う、反応の仕方もちがう。
ゆえに難しさ、あります。


こもこさんみたいにポジティブになれない、とそう言う人もいます。こもこさんみたいに私は恵まれていないから、ポジティブがいいのはわかるけど、ポジティブなんかなれない、と。
ええ、ポジティブという言葉についてすごーく難しく考えてしまって、なれないと思っているんだと思います。自分で暗示をかけてしまっているんですよね。私はポジティブになんかなれないと。


言葉の解釈はやはり人それぞれちがうんだな、と思います。ええ、ポジティブなものを選ぶかどうかも、結局は自分自身なんですよね。選ぶのは自分。選ぶ自由があるのです。


いろんな人を眺めてみる。そして表明してみる。

実のところ、凹むこともあり、ポジティブでなかった頃もありました。愚痴ってばかりのときも。ええ、でもあるときを境に変わろうと思ったのですね。ポジティブになろうと。ネットをしていて、Twitterの楽しさに目覚めて、ええ、こんな風に楽しくできるんだから、リアルでも楽しくできるんじゃないか、と。積極的に動くというのかな、とりあえず、ドアを開けて外に出てみようと。そうですね、Twitterをはじめる以前から、もっと発信したいというのありました。発信する楽しさを感じ、より毎日が楽しくなっているというのはあります。



外に出たら出たで、逆に孤独を感じてしまうかもしれません。人と思ったようにコミュニケーションできなかったり、でも、気にしてもしょうがないです。合う合わないはありますし、その人にはその人の都合があって、考えがある。世の中フレンドリーな人ばかりでもないです。ええ、世の中には本当にいろんな人がいます。
いろんな人を見てみる、眺めてみるというのもよいのではないかと。ええ、Twitterでもそうですが、いろんな人のつぶやきを見て、いろんな考えがこの世界に存在しているのだというのがわかって、それなら自分は自分の考え方を自由に表明していいんじゃないか、とそう思ったのですね。
あくまでも表明で、わたしの場合は、誰かを攻撃するとか非難する、責めるということはしないようにしています。わたしのスタンスは、攻撃よりは対話。まずは話してみる。ええ、伝わらないかもしれないけれど、まずは話してみる。黙っていてもわからないし、わかっているだろうとわたしが勝手に思いこんでいて、すれ違ってしまったことあります。
話してみたら案外いい人だったという話は聞きますし、ええ、お互いよく知らないがゆえに誤解が生じるということあります。

まとめみたいなもの

言いたいことが面と向かって言えない、それゆえにコミュニケーションがうまくとれないということはあると思います。黙っていてもわからないし、つい饒舌な人がその場を取り仕切ってしまうということは、会議等でもよくあることだったりします。

ネットでは饒舌。リアルでは寡黙な人。

いえ、寡黙なのが悪いとかそういうことを言っているわけじゃないです。なかなかリアルでは話ができない。口下手だという人は多いと思います。言いたいことも言えない。そういうことあります。うまく人と会話することができなくて、集団の中ではだんまりになってしまうということも。


そうですね、わたしとしては、それはそれでいいんじゃないかな、と思います。
ネットで言いたいことを言うというスタイルでもいいと思います。少しずつ言いたいことを言えるようになれば。
そうですね、コミュニケーションがうまいなーという人をよく見て参考にしてみるというのもいいのかもしれません。「そんなの見ても自分にはできない」というのではなく、まずは参考にしてみる。まねしてみる。そうですね、コミュミケーションがうまいなーと思う人は、だいたい明るいし、軽い感じの人が多いです。ベタっとしていないというか。コミュニケーションにはある程度の明るさと軽さは必要かなって思います。



まぁ、言いたいことが言える場があるというのは、いいですよね。Twitterもそうですが。