怒らずに伝えよう。説明しよう。

正しい怒り方』(わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
とても良い記事だったので、私も怒ることについて書いてみたいと思います。
正しい怒り方』では子どもに怒りを教える話ということで書いていらっしゃいます。
私は子どもではなく、まぁ一般的な怒り、特に怒鳴ることに焦点をあてて書いてみたいと思います。


私自身は怒らないほうだと思います。のほほんとしてます。

怒らずに伝えようよ、口で説明しようよ。

ということで書いていきたいと思います。


以前の職場で私ののほほんさに苛々する人がいましたが、その人はいつも苛々して何に対しても怒っていたように思います。
体調が悪いと言っては不機嫌で、なにかにつけ「あいつらバカだ」としょっちゅう言っていたのを思い出します。
怒りっぽいというのは元々の性質みたいなものなのかもしれません。


私も怒ることあります。ええ、滅多にないのですが。
怒るとき、それは自分の思い通りにならないときが多いですよね。
自分の思い通りにならないから怒る。
それはある意味幼い行為のように思います。
思い通りにならない子どもが駄々をこねるような。
そういう視点から見るようになって怒らないようになったというのもあります。


最近もあることである人が怒りました。
「なんで言ったとおりにしないの!」
「さっき指示したでしょ!」
「どうして指示したとおりにしないの!」


指示がきちんと伝わっていないことありますよね。
指示を聞き違えたり、自分の視点で判断して動いてしまうことあるんです。
言葉ってかなり曖昧で人によって受け取り方ちがいます。


人それぞれ感覚があって受け取り方がちがうのは仕方がないことなのに、指示したとおりにしないことを怒鳴る人。たまにいますよね。
怒鳴られたほうは、戸惑い、萎縮します。
やがて何も人前で怒鳴らなくてもいいじゃないかと反感を持ちはじめます。
それは怒鳴られた人の表情に出ているのでわかるのですよね。


指示とちがうと注意するのは当然ですが、人前で怒鳴るのはいけない。そう思います。
それはちがう。これこれこういう風にしてください。こういう風にやり直して。
怒鳴るのではなく説明すべき、というのが私の考え方です。


ホント怒鳴られると不愉快です。
間違っているなら間違っているで、それをちゃんとわかるように説明してこそ大人だし、
そうすることで人間関係もうまく保っていけると思うのです。職場では特にそうだと思います。


最近『怒らないこと』という本を読みましたが、よい本でした。

怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)

怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)



私自身、めっきり怒ることはなくなりました。
苛々することもほとんどないです。


怒りには原因があると思います。
原因があればそれを取り除くのがいちばんだと思います。
誰かに対して怒っているのであれば、怒っているその理由をきちんと伝えること。
こういうことで怒っていると。
怒っている理由をわかってもらえたら、怒りの大部分は収まるんじゃないかなと思います。


怒ってもしょうがないことも世の中には多いです。
生きていくうえで寛容さも必要かな。

まぁしょうがない。
ま、いっか。

というように。


怒るということはそれだけエネルギーがあるということ。
エネルギーがあるというのはよいことだと思います。


そのエネルギーを他に向けたらなにかできそうですよね。怒りのエネルギーを創造のほうに向けてすごい作品ができあがったという話も聞いたことありますし。
ええ、生まれ持ったバッテリーがちがうというか、エネルギーがある人、エネルギーに満ちている人世の中にいらっしゃいます。
ぐいぐいとひっぱっていくような。



話がそれました。元に戻して、
怒ったら、一度怒ってしまったら、そのあとの対処って実はかなり難しいです。
先ほど書きましたが、先日ある人が怒鳴って、その場の雰囲気はものすごく悪くなりました。
なんともやりにくい雰囲気。その場から逃げ出したくなるような。
怒鳴られた人はすっかりやる気をなくしてしまったし、他の人も怒鳴られるんじゃないかとびくびく。
怒鳴った人はすっきりしたかもしれません。
が、大人なら怒鳴るのではなく、もう一度指示を説明して本当にわかっているか確認するべきだったんじゃないかなと思います。

怒るのではなく伝えること。説明すること。

そんな風に思います。


長くなってしまったのでこのへんで。