あいまい世界。

あいまい世界。
曖昧世界。
I MY 世界。

などと頭の中で変換してみる。
今朝いつものように早起きしてみたら
外は靄(もや)


うすいグレーのトレーシングペーパーごしに世界を見ているみたいで
面白かった。
曇りガラスみたいなレイヤーがプラスされた感じ。


この一面の靄を見て、ふとある人を思い出した。
ある日、メガネをかけることをやめてしまった人。
その人は目が悪くて、
でもある日メガネをかけるのをやめてしまったのですよね。


見えすぎるのがこわい、と。人の表情が見えすぎてこわい、と。
メガネをかけるのを止めた理由をこっそり私に教えてくれた。


その人は時々すごく神経が過敏になりすぎてしまって、
まわりの人がどういう表情をしているのかが気になってどうしようもなくなって、
そんな風に気にする自分がイヤで、
それならいっそ見えなければいいんだってことで
メガネをかけるのをやめたらしい。


ぼやっと見えるくらいがいいと。



見えすぎてこわいというのはわかる。
夜とか暗くて見えなくてこわいというのもわかるけど、
見えすぎてもこわくて、見えたものが自分の中に突き刺さるということはある。
防御という意味でメガネをはずすという選択もあるのかもしれない。


「見なければよかった」
そう思うことある。


人の表情もそうだし、
世の中きれいだと思えるものばかりではないのが現実だ。
できれば見たくないものもあるのが現実。


もし目が悪くてぼやっとしか見えなければ、
そう
あの道路の傍らに放置されているのが
車にはねられた猫だとは
気がつかないだろう。


気がついてしまったがゆえの悲しみ、苦しみ、怒り、つらさというのはある。
見てしまったがゆえの悲しみ、苦しみ、怒り、つらさ。


鈍感である方が、
生きやすいというのはあるかもしれない。
痛みを感じやすく、
痛みに対して人一倍敏感で過敏で
それで苦しむ人もいる。
痛みに敏感。
痛みに鈍感。


どちらがいいのか
それはわからない。


ただ、あまりにも見えすぎて痛いのなら、
メガネをはずしてしまうのも有りかもしれない。
それはその人の自由。


世界を自分であいまいにして、
それで楽になるのなら、それも有り。


世界自体元々あいまいで、
人によって見え方感じ方のちがうもの。


生きるというのは「どう周りと折り合いをつけていくか」なのかもしれない。


譲れる部分と譲れない部分。
どうでもいいこととこれだけは守りたいということと。


A.T.フィールド
メガネをはずし、もやを作ること。
あいまいにしか見えないようにして
そして
世界をもっと曖昧に。
曖昧バリア。
一種の防御壁。


あいまい世界。
曖昧世界。
I MY 世界。
私と私の世界。


くろーずど・えんど。


あいまいにしようがしまいが、
まぁ、世界自体存在は変わらない。
世界は世界で存在しつづける。


地球は回り続ける。