可視化される感情にまつわる一考察

ネットを見ていると(特にTwitter)人の感情が言葉でよく可視化されてるなぁって思うのです。
例えば、

安心、不安、感謝、驚愕、興奮、好奇心、焦燥 (焦り)、不思議 (困惑)、幸せ感、緊張、尊敬、欲望、恐怖、後悔、満足、不満、嫌悪、恥、軽蔑、嫉妬、罪悪感、期待、優越感、劣等感、怨み、苦しみ、悲しみ、切なさ、怒り、諦め、絶望、憎悪、愛しさ、空虚、憧れ、喜び

などなど、他にもあると思います。

1.本当に泣いているのか否か

人間なので、さまざまな感情はあって当然だと思います。
ネットはそれら感情が言葉となって他の人に伝えやすくなっているというのはあるかと思います。
つまりは感情が可視化されている。

今泣きながらこれを書いています。

と書くと、感情伝わってきますよね。
実際に泣いているかどうかはわかりません。
でも、特にTwitterで「泣いているなう」とツイートすれば、たいていの人は、あ、泣いてるんだって思うのではないかと。なんで泣いてるの?どうしたの?とリプライする人もいるかもしれません。

2.感情を可視化することによる影響

感情を可視化することによる影響を私はしばしば考えます。
例えば、私が怒っているという感情を可視化させることで、周りはどういう反応をするか、どういう影響がでてくるか考えるのです。


よほどのことがない限り、公の場で怒りを表明することはありません。ええ、これは私の場合ですが、一般的な感覚として、公の場で怒りを表明するということは、それなりの反応があり、注目される行為であるとは言えるかと思います。そして、リスクを伴う行為。


怒ってはいけない。というわけではないです。
ただ、その怒りの表明というのはかなりリスクを含んだ難しい行為であること、それは頭の中においておきたいと思います。


怒りをコントロールする人はコントロールします。あるいは、怒っていてもそれを表明しない人もいます。ネットの場合、怒りを表明しやすいのでしょうか。リアルでは口にしないようなこともネットでは簡単に軽く文字にしてしまう、できてしまうというのはあるように思います。

3.簡単に感情を可視化、発信できるということ

簡単に感情を文字にできて発信できてしまう。これは良いことなのか、悪いことなのか。


簡単に他者を傷つけるようなことを書けてしまうというのもネットの特徴だと思います。
他者を傷つけることで、その人は自分が優位に立てると思っているのかもしれません。もっとも、他者を傷つけるような、そういう言葉を吐く人は、所詮それだけの人なのだと思います。
相手の気持ちが想像できない人。あるいは、想像する必要などないと思っている人。所謂思いやりのない人と言われる人のことになるのかもしれません。


感情の先に相手がいる場合、やはり配慮は必要だと思います。特に負の感情ですね。
怒りも負の感情に入ると思うのですが、それをもろに特定個人に向け発射した場合、やはり影響は大きいです。発射した自分自身の評価低下にも繋がりかねません。それでもなお、怒りを発したいのであれば別ですが。

4.自分の平気が相手の平気じゃないということ

まぁ、相手の気持ちを想像するのって、実はかなり難しいです。相手は自分とはちがう人間で、感じ方も考え方もちがいます。

うーん、ソレ言われて自分的には平気でも、平気じゃない人もいるかもよ?

って私はいつも思います。
自分の平気と他の人の平気はちがうと思うのですよね。


感覚的に鈍かったりすると、案外その自分の鈍さに気づかず、思ったことをそのまま口にして、相手を怒らせてしまうということあります。
「いや、相手の立場とか状況とか、そういうこと考えたら、それはちょっと言っちゃまずいでしょ?」というようなことを言ってしまう。
言った本人はわかっていないのですよね。どうして相手を怒らせたか。


まぁ、リアルで対面しているとき、相手を怒らせてしまったら、そのあとフォローは可能です。あ、まずいこと言ったな、というのが相手を見てわかりますので。
が、ネットの場合、相手を怒らせて、リムーブ、ブロックされてしまったら、そのあとの関係修復はなかなか難しいのではないかと思います。まぁこれはTwitterの場合ですが。

5.まとめみたいなもの

無理に感情を押し込めなくてもいいと思っています。ただ、怒りといった感情を表に出す場合は注意が必要かな、と。怒りにはリスクがつきものだと思います。


可視化された他者の感情に振り回されるというのもどうかと思うのです。一過的な場合もありますし、どんな感情も永遠には続かないです。一時的なものに振り回されて心身ともに疲れてしまうのはどうかな、と思うのです。四角錐状のピラミッドのように、どっしりと構えるスタンスというのも有りではないかと。