人は変われるんだと証明したい 。

先日ある人とお会いし、かなり強い刺激を受けて帰ってきました。


そして思ったこと。

もっと勉強したい、ということ。
もっと経験を積みたい、ということ。

「結論を言う」ということ。
結論をはっきり言える人に変わろうよ。

変わりたい。
変わらなきゃ。
そう本気で思いました。


仕事関係の話になりますが、若くて体力もあって、優秀な人がどんどんでて きているのですよね。
そういう状況を見たら、のんびりしていられないなぁと。
年をとっているだけで使えないとか、考え方が古いとか、臨機応変さに欠けるとか、言われたくないな、と。


年をとって精神的に落ち着くというメリットはあります。精神的に安定し、仕事に集中できるというのは良いことだと思います。


悩みというのは、それだけで精神的にも身体的にも(胃が痛くなったり)負荷がかかりますし、できれば悩まないほうがいい。悩みグセはつけないほうがいいです、本当に。


今はこれと言って悩みってないのですよね。凹んでも回復するのがすごく早くて、我ながらすごいなと感心するほどです。泣いたカラスがもう笑ったみたいな、そういう比喩もありますが。


さきほど悩みグセはつけないほうがいいと書きましたが、人の考え方の傾向、癖ってなかなか変わらないものなのですよね。自分で気づいて変えようとしないかぎり変わらないです。
悩みたければ悩んでもよいのですけれど、悩むことに疲れ果ててしまうのは心身ともによくないです。


悩んだとしても、どうしようもないことのほうが実際多いです。
どうしようもないのに悩むことに時間を費やして、他がおろそかになってしまって、傍から見ると、もったいないなぁと。ええ、悩む時間も疲弊していくその人の心身も。


悩みあぐね暗い顔をしている人のところに人は近づかないと思います。むしろ避けようとするでしょう。


いっそ悩みをカミングアウトしたほうが、力になってくれる人、アドバイスをくれる人が出てきたりするもの。


何でも自分ひとりで抱え込むのはよくないですね。


欲求不満の耐性というのかな、まぁ不満なことがあったとしても、それはそれとして受け止め、あるいは流していかないと仕方がない。


アグレッシブに戦いたければ戦ってよいと思います。
でもですね、いつもアグレッシブでいることで、周りを振り回していたり、気づかないうちに孤立する狼になっていたりということもあるのですよね。それはそれでかまわないという人もいるかと思いますが、なかなか独り狼のままでいるのはしんどいときもあるものです。


さて、話を戻して、今また変わりたいと思っている自分がいます。

人は変われるんだと証明したい 。

タイトルにしましたが、要は自分がやるかやらないか、それだけなんだと思います。


いつか、いつかと言っているうちに時間は過ぎていきます。


割とですね、私は曖昧で白でも黒いでもOK。グレーも可というところがあったのですけれど、そうも言っていられないな、と。はっきり結論、意見が言えるようにならないといけないな、と。

変わろうと思えば変われる。

そう思います。


なりたい自分に少しでも近づきたい。
逃げることなく一歩でも前へ進んでいきたい。
そんな風に思っています。