子どもの疑問に答えられるような、あるいは自分の考えをきちんと伝えられるような親になりたい

第5回のNoBorderのお題が

「これからの日本を良くするために、ブロガーでこそ出来る事を提案してください。」
(小説仕立て等の変化球ではなくて、くそ真面目なエントリでお願いします。)
http://blog.livedoor.jp/noborder12/archives/5705631.html

というものでした。
このお題の回答を書きながら思ったのですよね。

子どもの疑問に答えられるような、あるいは自分の考えをきちんと伝えられるような親になりたい

一方的に回答や答えを押しつけるのではなく、「お母さんは○○だと思うよ」「まぁいろいろ考え方はあるけど、△△は××だと思うんだけど・・・」というスタンスでいたいな、と。


子どもはさまざまな疑問を持ちます。世の中わからないことだらけです。わたし自身もわからないことだらけで、でも子どもがふと思う疑問には答えられるような自分でありたいな、と。


子どもの持つ疑問ってストレートだと思うのです。先入観がなく、まだ価値観も固まっていない。けれど、大人のやっていることや世の中のことは見ていると思うのですよね。そして「どうして大人って・・・」「なんで〜なんだろう」と疑問を持つ。


親が子どもに与える回答が必ずしもベストの回答であるとは限りません。親の価値観やフィルターを通しての答えであるということ。そこには注意が必要ですが、だいたい子どもは素直に親の言うことを信じてしまうものなのではないでしょうか。年齢が低ければ低いほど、素直に親の言うことを聞くものだと思います。


自分で調べたりできる年齢になると親の言っていることが必ずしもベストの回答ではないとわかってくるのですが、なかなかベストの回答を見つけるというのは難しいかもしれません。親の言っていること、回答に疑問を持つこと、つまり「親の言っていることは間違ってる、本当はちがう、実際はこうだ、僕はこう思う」そこまで考えられるようになれば、独り立ちへの第一歩が踏み出せたと言えるのかもしれません。


回答というのは、ひとつではないことが多いです。見方や立場によって回答がちがってくるというのはあります。例えば、今後原発をどうすべきか、等。


疑問に対し自分で答えを出せるようになるのがいちばんよいのだと思います。自分で考え、自分なりの答えを出す。納得行くまで考える。誰かの考えや答えを鵜呑みにしない。それは習慣としても大事なことのように思います。


親としては簡単に答えを与えず、子ども自身に考えされるようにするのもよいのかもしれません。「○○(子どもの名前)は、どう思う?」と。


そして、私もそうなのですが、もっといろいろなことに疑問や関心を持っていいと思うのです。「なんで〜なんだろう?」と。


私はよくTwitterでそういうことをツイートするのですが、まぁ元から好奇心があるほうだからなのだと思います。子どものほうがもっと好奇心は旺盛だと思います。わからないこと、知らないことだらけですから。


子どもが持つ疑問や関心の芽は摘み取りたくないな、とそれは真剣に思います。


第5回のNoBorderのお題

「これからの日本を良くするために、ブロガーでこそ出来る事を提案してください。」

私なりに考えて回答しました。

タイトル「ブログを書くだけじゃダメなんだよ。どうしてかっていうと・・・」




子ども「ねぇ、お父さんー、お父さんってブログ書いてるよね。ねぇ、これからの日本を良くするために、ブロガーでこそ出来る事って何かあるの?ブログって、役にたつの?」


父親「さぁ、どうだろうね。有名人でも著名人でもない個人のブログにたいした力なんてないからね」


子ども「ふーん。そうなんだー。じゃ、なんでブログ書いてるの?」


父親「暇つぶしみたいなもんだよ。息抜きかな」


子ども「でもさ、ブログに日本を良くしようって書いたら、読んだ人がよし日本を良くしよう!って思ったりしないかな?」


父親「思うだけではダメなんだよ。思うだけでは。行動して、何かしないと」


子ども「行動?」


父親「そう。日本を良くしたいって、具体的にどう良くしたいんだい?
例えば、失業率を下げたいのかい?
原発事故で避難している人を元の住んでいた場所に戻れるようにしたい、とかかい?
あるいは、孤独死していく人をどうにか孤独死させないようにしたいとか?
具体的に何をどうしたいのか、そこをはっきりさせないとね。
日本には日本独特の問題が山積みだよ。すぐに解決できるものならすぐに解決してるよ」


子ども「解決って難しいの?」


父親「難しいことの方が多いよ」


子ども「どうして難しいの?」


父親「様々な利害関係があるからね。利権とか既得権益とか。原発はもう要らないと言う人がいる一方で、原発で食ってる人たちも大勢いるんだ。原発を作る会社や電力会社の人とかね。そういった会社で働く人にも家族はいるよ。養っている奥さんや子どもがね」


子ども「急に原発がなくなったら、困るってこと?」


父親「そうだね。困るね。仕事がなくなる人が大勢出てくることになるからね。それに、まず第一にたくさんの電力を必要とする生活に日本人は慣れてしまったからね」


子ども「もっと太陽エネルギーとか風力とか地熱とか活用すればいいのに」


父親「その動きはもうはじまってるよ。自然エネルギーはもっと活用すべきだと思うよ。
そのための研究や技術はもっとされるべきだし、日本ならできると思う。
そういう分野で研究、開発する人をもっと育てて、その分野で十分食べていけるよう金を回すべきだと思うよ。
いくら研究開発しようとしても、金をもらえなければ、人は去っていくよ。
日本が生き残っていくためには、どうしたってエネルギーは必要。
必要なエネルギーの確保、しかも安全なエネルギーの確保は急務だ。死活問題と言ってもいい」


子ども「ねぇお父さん、日本は地震が多いから、原発がなくなったら、もっと安全な安心な国になると思うんだけど」


父親「そうだね。それがより良い日本になるってことかもしれないね。
今回の震災はより良い日本になるきっかけになるんじゃないかな。


世の中本当にいろんな人がいるんだよ。
とんでもなく頭がいい人も。
研究論文なんかもネットで読めたりするからね。
それは良いことだと思うよ。
知りたいことを知ることができる社会、学びたい人が学べる社会であってほしいとそう心から思うんだ。


そして、お父さんはね、一個人の、どんな小さな声も握りつぶしちゃいけないと思うんだ。
発信する自由は決して奪っちゃいけない。
どんな人も、年齢性別職業学歴そう言ったものに関係なく自由に発信していいんだ。


声をあげること、それを怖がっていてはいけない。
確かにいろいろ言ってくるやつはいるだろう。


いいんだよ。
言わせたいやつには言わせておけば。


言われるということは、それだけ読まれてるってことだ。


自分以外誰も読まないチラシの裏よりマシだよ。


心の底から日本を良くしたいと思うなら、ブログを書くだけではダメなんだ。


ブログという媒体を使って、日本の問題点、改善点、改善策を出し合うことはできても、それを実行する媒体、組織がない限り、日本は変わらないままだ。


絵に書いた餅をいくらネット上に並べても、現実的におなかがふくらむわけじゃない。
美しい日本の絵を描いて、それで日本がそうなるわけじゃない。


どんなよいアイデアも実行されなければ、価値はない。


ブログを通して具体的な改善策を多くの人に知ってもらうこと、それはできるかもしれない。
でもね、知ってもらうだけじゃダメなんだ。問題は、その改善策をいかに実行するか、政府に届けるか。
政府に改善を働きかけるにはそれなりの声が上がらないと無理だろうね。これの、こういうところが問題だ、これはこういう風にしてくれ、そうすれば、こういうメリットがある。ぜひとも大多数の幸せのために、こういう風にしてくれ、と」


子ども「大多数の幸せ?」


父親「そう、大多数の幸せ。
全ての人が幸せになること、幸せだと感じられること、それは不可能なんだ。


原発がなくなって、幸せを感じる人もいる。一方で、原発がなくなることで仕事を失う人もいる。仕事を失って、収入がなくなって喜ぶ人はいないだろう?


原発がなくなることで、日本の防衛力、諸外国への牽制力が下がると言う人もいる。
原発があれば、正確には材料と技術力があれば、核爆弾も作れるからね。日本は核は持たないと言っているらしいけど、材料は自国内にあるよ。もっとも、それは日本だけじゃないけどね。原子力の軍事への転用は可能で、防御のための武器として保有もまた可能。他国への牽制のために武器をちらつかせるのは、別に珍しいことじゃない。


そもそも、ネットだって、アメリカ国防総省ペンタゴンが、軍事目的で研究開発したのが始まりらしいし、ネットを使っての情報操作、情報攻撃、情報戦は、まぁ今更言うまでもないしね」


ARPANET アーパネット、Advanced Research Projects Agency Network)
http://ja.wikipedia.org/wiki/ARPANET


子ども「ネットって、武器になるんだ」


父親「ああ、なるよ。人は何より情報を欲しがるからね。災害のときもそうだったろう?
地震が発生したとして、まず欲しいの情報だ。どこでどれくらいの規模の地震が起きたのか、津波は来るのか来ないのか。


仮に『地震は発生しましたが、津波の心配はありません』と嘘の情報を流したとして、多くの人はその情報を信じて避難しないまま、そこに留まるだろう。
結果、多くの命が失われる。
嘘の情報を信じたがためにね」


子ども「こわいね」


父親「ああ、こわいよ。情報を鵜呑みにするのは本当によくない。けれど、情報が少ないときほど、人はその少ない情報を信じてしまう傾向にあるんだ。
藁にもすがってしまうのが人間なのかもしれない。


とにかく不安を解消したがるのが人間なんだ。
人の中には『生き残るためのプログラム』が組み込まれているんだよ。生まれながらにして」


子ども「生き残るためのプログラム?」


父親「そう、食べたり寝たり、そういうのも生き残るためにあって、生き残るため食欲を起こさせたり、睡眠させたり、それはあらかじめプログラムされ組み込まれ、抗うことはできない仕様になってる」


子ども「不安になるのも生き残るため?」


父親「そう、安全欲が人にはあるんだ。
安全なところで暮らしたい。
安全なものを食べたい。
不安のあるものは食べたくない。
安心できる場所で眠りたい。


日本はこれからも安全なものを食べられて、安心して眠り、暮らせる場所であってほしい。それはお父さんも思うよ。


不安を抱えながら生きるのはつらいことだ。


不安は少しでも少ないほうがよい。


自分で取り除ける不安なら自分で取り除くことだ」


子ども「自分のことは自分でする?ってこと」


父親「そういうことだ。自立と言ってもいい。誰かに頼ること、それが悪いと言っているわけじゃない。頼ってもいい。でも基本的に自分でできることは自分でしよう。それが大人になるということだ。
自分のこともろくにできないやつが、他の自分以外の誰かを助けられる支えられるとは到底思えない。といっても、難しいことをお父さんは言っているわけじゃないよ。できないことを無理にしろとは言わない。自分でできることからすればいい。


最初の話に戻ろうか。
これからの日本を良くするために、ブロガーでこそ出来る事って何?って話だったよね。
日本を本当によくしたいのなら、ブログを書くだけじゃダメ。書くだけじゃ。どうしてかっていうと、さっきも言ったよね?」


子ども「ブログに書くだけじゃ絵に描いた餅だから」


父親「そう。書くだけじゃダメなんだ。実際に何をどうしたらいいか、具体策を持って、活動すること。同じ目的を持つ仲間を集めること。
真剣に訴えることブログに書けば、あとは誰かがどうにかするだろう、というのは甘い。他力本願ではね、ダメなんだよ。


ブロガーがネット上に書くだけでは変わらない。


本当に日本を良くしたい、変えていきたいと思うのであれば、ブロガーではなくむしろ政治家を目指したほうがいいかもしれないよ。


いきなり国会議員というのは無理でも、地元の市会議員から始めて、地元を良くすることから始めてもいい」


子ども「市会議員かぁ・・・」


父親「いきなり日本全体に関わることを変えることは難しいだろうね。小さな問題から始めて、そして徐々に大きな問題へとレベルアップしていく、そういうやり方は有りだろう。


実績、結果がないと人はその人を認めないよ。認められるには、目に見えるものがないとね。
人を動かすことができる人、影響力を与える人はそれなりに実績、結果がある人なんだ。
たいした活動実績もないのに影響力があるとか人を動かすことができるとかそういうのは甘いんだよ」


子ども「影響力とか人を動かすことができるって何なの?」


父親「それについては、また今度話をしようか。晩飯ができたみたいだ。お母さんが呼んでる声がする」


子ども「うん。僕、おなかすいた。おなかすきすぎて痛いくらいだ」


父親「ははは。そうだな。おなかすきすぎると痛くなるよな」


http://blog.livedoor.jp/noborder12/archives/5717917.html

すっかり長くなってしまいました。このへんで、また。