黄昏時に見る夢も良い

ドラゴンクエストの、あのテーマソングを耳にして、流れてきたものに驚いた。何が流れてきたかって、どんぶらこっこどんぶらっこっこの桃じゃなく、流れてきたのは桃でも栗でも柿でもないわけで。中国語で書くと「流泪」発音は「リウレイ」が近いかな。なんというか「リウレイ」という響きが好きで、これはすぐに覚えた。好きなことはすぐに覚える。好きなもの好きな人のことは一度覚えたらなかなか忘れないものなんじゃないだろうか。「ああこれは好きな人が好きな食べ物なんだよね」とか。好きな人から言われた言葉もなかなか忘れないもののひとつじゃないだろうか。


「流泪(リウレイ)」のわけは自分でもわかっていて、先日書いためまいも病院で検査した結果、疲れ、ストレス、睡眠不足が原因なんじゃないかということで、過労もあるかな、あとは不安とか心配事があるとか。ああ当たってる。まさしくそのとおり。そういう真っ只中にいるときってどうしようもない気がする。自分ではどうしようもない。精一杯やるしかないとき、頑張るしかないときってやっぱりあるもんなんだ。


で、今もドラゴンクエストのあのテーマソング、っちゃっちゃちゃらちゃっちゃ〜♪を聞きながらこれを書いているわけですが、ドラクエは当時かなりハマったゲームで、友達のうちに合宿みたいに泊まりこんでやった思い出のゲームなのですよね。ドラクエのⅣくらいの時だと思うのですけれど。懐かしいなぁと思うのと、あの頃はまだまだ子どもで、でも今って本当に大人になっているのかなぁとも思ったり。中身は子どものまま、子どもっぽいままなんじゃないだろうか。


当時の友達はそれぞれの道を歩きはじめて、それぞれの人生が進んでいって、もう会うことも全然なくて、でもこのドラクエのテーマソングを聞くと思い出すのはその友達。仲が良かった頃、わたしのほうが子どもっぽくてその友達のほうが大人びてた。姉御肌だった。いろんなことを知っていて行動的で、わたしはその友達についていくのが好きだった。ああ、と思う。当時も今も変わっていないなぁ。今もいろんなことを知っていて行動的な人が好きだし、姉御肌な人についていくことが多い気がする。


私の場合、子どもの頃から夢見ていたこと、やりたいと思っていたことや好きなことは今でも変わらないし、で、ふと「三つ子の魂百まで」ということわざを思い出したけれど、あの「三つ子」というのは三つ子、四つ子、五つ子の三つ子ことではなく、三歳児のことを言うんだな、と今更のように気づいたり・・・(汗


まぁそれは寒空のベランダにでも置いておくとして、子どもの頃から夢見ていたことは今も変わらないのに、それが現実になっているかというとそういうわけではなくて、でも現実になっていなかったからといって地団駄を踏むほど悔しいかというとそういうわけでもなくて、じゃあすっかりあきらめてしまっているかというとそういうわけでもなくて、そういうところが相変わらずだなぁと。夢見がちというか。でもまぁ夢は見るだけなら見てもいいんじゃないかと思うタイプで、「夢を見るなら寝てから見ろ」と言う人もいるかもしれないけれど、密かに夢を見続けるのもロマンがあって良いと思うのだ。ってなんで急に「のだ」という語尾になるのかよくわからないけれどまぁ良いことにする。


大人になっても夢を見る。大人だろうが子どもだろうが夢を見る。いつだって夢を見て、ああなったらいいなぁ、いつかはこうなりたいなぁと。現実は確かに現実で厳しいのかもしれないけれど、厳しいと思いこんでしまったせいで余計に厳しく感じてしまっていることはないだろうか。ニュースや情報に振り回されて、暗く重いことばかり取りこんで、自分で自分を沈めていないだろうか。


かく言うわたしも気分の切り替えがうまくできず引きずることも度々で「助けてー」と思うこともしばしば。こういうときはかなりストレスが溜まっているんじゃないかと思う。


個人差はあると思うけれど、ストレスは泣くことでかなり解消される気がする。ストレスというものは完璧にはなくならないのだろうけれど、それはそれで仕方ないかなと。「それはそれで仕方ない」というのをわたしはよく書いているみたいだけれど、これは口癖なんだと思う。「それはそれで仕方ない」と自分で納得させて、そうすることで自分を前に向かせているのだと思う。納得しなければなかなか次へ行かない性格なので、とりあえずなんとか納得する方法としての「それはそれで仕方がない」。仕方がないで割り切れることばかりでもないのだけれど、突きつけられた現実は受け入れるしかない。


現実は現実で受け入れるけれど、でもその一方で夢も見ているのだから、まぁ面白いなと思う。子どものように夢を見る。いまでもそれは変わらない。大人になっても子どものように。変わらずに。それが楽しく生きるコツかもしれないって今思いはじめてる。大人になっても夢を見る。大人だろうが子どもだろうが夢を見る。いつだって夢を見る。黄昏時に見る夢も良いとそう思うのです。