言葉と言葉以外の表現と。

普段から「言葉に頼りがち」というか、言葉で生きているような者なのだけれど、
唐突に言葉から逃げてしまいたくなることがある。
だいたいつらいことがあったときやストレスが溜まりに溜まったときだったりするのだけれど、
そういうとき、ひたすら歌詞のない音楽(クラシックだったり、サントラだったり)を聞いたり、
写真集(世界中の風景や遺跡とかの)をひたすら眺めている。


そして、聞きながら、眺めながら思うのだ。言葉以外の表現の、その奥の深さ、懐の広さはすごいな、と。


言葉にすると、どうにも限定的で、現実的で、少しも安らげない。こうしてブログを書いていても認識する対象が露呈されて、なんとも気恥ずかしかったり、言葉の拙(つたな)さに自分自身モヤモヤとしてしまったり。


言葉以外の表現方法として、絵を描いたりもしていたのだけれど、時間があまりにもかかるので、なかなか描けていない。


描くことで満たされるという感覚を知っている。描きあげたときの満足感というか、充足感というか、描いた絵をずっと手元において眺めていたいと思う。


言葉で書いたものの場合、何度も書いているけれど、読み返すことがほとんどない。
「とりあえず書いて残すこと」に比重があまりにも大きすぎるのと、
自分の文章を読み返すのは、たとえ誰も周りで見ていなくても気恥ずかしいからだと思う。
自分で書いた文章をあとから何度も修正したくなってしまうので、あえて読み返さないというのもある。


それでも言葉で表現することが自分では一番楽で速い(スピード的に)方法なので、採用しているのだけれど、果たしてどれだけ伝わっているのか、もしかしたら、伝わっていることは自分が思っているよりも少ないと思っていたほうがいいのかもしれない。


言葉と言葉以外の表現。
どちらがどうという定義を書くつもりはない。いいとか悪いとかではなく、言葉以外の表現があってよかったとそう思う。つらいとき、ストレスが溜まったとき、逃げられる場所(スペース)があるのはよいことだな、と。
誰にも邪魔されない自分だけの時間というのは本当に大事。

繰り返される日常の中で「自分をたもつ」ためには、他者や社会やメディアなんかから離れ、自分だけの時間を持つようにする、というか持たなきゃだなと。誰にも邪魔されない時間をね。


ということで長くなったので今日はこのへんで。