人それぞれ感じ方がちがうということ

人それぞれ感じ方はちがう。それは当たり前のことなのだけれど、感じたことを口に出さないと他者には伝わらないものだ。

ある時ふと、ある人の弱気な呟きを目の当たりにして、意外性を感じるとともに、言いようのない寂しさを感じた。弱気な呟きは、簡単に言えば「ここから逃げ出したい」というようなことだった。まあ、誰でもネガティブになって、物事を前向きに明るく考えられないときはあるものだ。それを口にする人と押し隠す人がいて、私が思うに、押し隠す人は決して少なくはないだろう。特に職場などでは、本音や弱音も言わず、つとめて平静を、いつもどおりを装っている人も多いのではないか。


本音や弱音をさらけ出せない人というのはいるものだ。


さらけ出せない理由は、まあ本人自身よくわかっていなかったり。



人それぞれ感じ方はちがう。感じたことを片っ端から口にするのを躊躇うのは、表明したことによる反応が怖いというのはあるかもしれない。


その人の「逃げ出したい」という呟きは、本音であり、本当にそうすることはできなくても、でも口にすることで、わかってほしい、今逃げ出したいくらいつらいということをどうか察してほしいと、そういうことなのだと思う。


逃げ出したいほどのつらさ、それを他者が理解するのは難しい。その人のつらさ、つらい理由を想像はできるけれど、でもその想像が当たっているとは限らない。


つらい気持ちを楽にしてあげたいと思うけれど、でもどうやって?


私以外にもその弱気な呟きに気づいた人はいると思うけれど、でも皆傍観している様子で、まあ、呟いた本人も呟きを深刻に受け止めてほしそうでもなかったので、私も特になにも言わないでいた。というか、何も言えなかった。様子をみたほうがいい、といあるし、その場ですぐに言葉にできなかった。感じたことを表明できなかった。今だから、時間が経ってやっと、弱気な呟きは、つらさからくるもののだとわかる。いや、これも私が感じて、想像した結論で、もしかしたら当の本人が感じていることは、ちがうかもしれない。


人それぞれ感じ方がちがう。むやみやたらと想像してもそれは想像でしかないし、勝手に想像を押し広げるのはよくないように思う。


普段本音や弱音を口にしない人、そう思っているのも、もしかしたら私の先入観かもしれないし、私が感じていることは、私というフィルターを通したもので、つまりは、人の数だけフィルターがあると、まあそういうことになるだろう。そのフィルターは他者は操作不可なので、結局のところ、人はそれぞれ感じたように感じるということ。それはどうすることもできない。どうすることもできないのに、いろいろと気にして、想像してしまって「一体なんなのだろうね」という気持ちになったところで、今日はこのへんで。