読んだ本『今日の人生2 世界がどんなに変わっても』

今日の人生2 世界がどんなに変わっても

今日の人生2 世界がどんなに変わっても

  • 作者:益田ミリ
  • 発売日: 2020/10/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
読んで思ったのは、作者はいろいろなものをよく観察しているのだなということ。
そして気づいたことを4コマ(?)漫画にしていて、
読みながら笑ってしまったり、「あー、わかる」とうなずいてしまうものも多くて、
この共感の感覚は楽しいなと。


「今日の人生」というタイトルもNiceだ。
「人生」というとなんだか重い言葉のイメージが私にはあるのだけれど、そもそも「日々」「毎日」は自分の人生を形成しているものに他ならないということに気づいて、そんなに重く受け止めなくてもいいんじゃないかとそう思うようになった。


つまり「人生」が初めからあるのではなく、「日々」「毎日」の連続が「人生」になっていくということ。
「日々」「毎日」あったことの受け止め方はその人次第で、良くも悪くも楽しくも苦しくもなる。


まぁ、「日々」「毎日」の中で、思わぬことが起きたりして、それが「人生の転機」と言われるものになったりするんだろうな、と。まぁそうそう「転機」というのは起きなかったりもするのだけれど、まったく起きないわけではない。


私も「今日の人生」はどうだったかなと寝る前に振り返ってみたりしたい。
もっと観察力を身につけたいし、こまめにメモ(記録)するようにしたい。


ちなみに読んだのは2の『今日の人生2 世界がどんなに変わっても』のほうで、
1のほう↓

今日の人生

今日の人生

  • 作者:益田ミリ
  • 発売日: 2017/04/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
これはまだ未読。
こちらも読んでみたい。


こんな風に読みたい本や漫画が増えていくのはうれしい。


資料1ページあたりの情報量は適量に減らしたほうがいい。

とある資料を読まないといけないのだけれど、どうにも1ページに盛りこまれた情報が多すぎて、読むのにとても時間がかかるうえに疲れてしまった。


その情報てんこ盛りの資料のページは数十ページ(50p前後)に及び、あああああ(溜息)


せめて1ページに盛りこむ情報量を減らしてもらえれば…。
枚数を増やしたくなくて、1ページに盛りこんだ感が否めない。(1ページはA4)


「資料の見やすさ」は需要だと思っている。
資料なんだから、とにかく情報を載せないといけないというのもわかるけれど、あまりにも多い情報は混乱を生む。何がなんだかわからなくて、読む気をなくす。


もし自分が資料を作るときは、1ページあたりの情報量を適量に、どうしても外せないところだけを載せるようにしよう、見出しはわかりやすくしようと思っている。それでも「よくわからない」と言われたら、そのときに適宜説明するようにしようと思う。


リモートワークで感じる「限界みたいなもの」

コロナ禍、オンラインで仕事(リモートワーク)をしないといけなくなって、
それがなかなかうまくいかなくて、ものすごくストレスになっている話を聞いたりしている。
個人のスキルや慣れの問題もあるけれど、でもスキルや慣れ問題だけではなく、やはりオンラインで仕事をする(リモートワーク)にあたって、限界みたいなものがあるのを感じている。


「限界みたいなものがある」とあやふやな表現しているのは、この限界がなかなか言語化できない類(たぐい)のものであり、この「限界みたいなものがある」は今の時点で感じている限界であって、もしかしたら、これから先、限界を打破できるかもしれないもの、という二つの意味あいがあるからだ。
今現在、「限界みたいなものがある」のを感じながらも、具体的にどうしたらいいかわからず、手を打てないでいるのが、なんとももどかしい。


必死に変化に適応(対応?)しようとしているのだけれど、リモートワークの結果(成果)はまだ見えてこない状態で、これでいいのかな、という不安は以前より増している。


その一方で、こういう状況下(コロナ禍、オンラインで仕事をしなければならないという状況下)、とにかく「やれることをやる」しかないという「開き直り」も生まれつつある。


私個人、その時その時のベストチョイス(最善の選択)をするしかないと常々思っている。
それでも、「あの時あれをしなければよかった」と後悔するもので、最善の選択はその時その時点での最善であり、もしくは「回避不能な選択」とも言えるかもしれない。
今の状態で言えば「リモートワーク=回避不能な選択」とも言えるだろう。


回避不能な選択で、なかなかストレスフルな状態が続いているのだけれど、焦らずやれることをやっていくしかないとも思っている。
まぁよくこのブログで書いているような結論になってしまったけれど、もどかしさやじりじりもやもやとした状況に対する忍耐力をつける時期でもあるのかなと思っている。


英語の勉強で最近思っていること

英語の勉強で最近思っていることを書いておきたい。
英単語を知っている、意味がわかるだけでは不十分で、その単語がどういうふうに文で使われるのかを具体的に知らないと自分で英語を話したり、書いたりはできない。
なので、文例をよく見てみるようにしている。
文例は多ければ多いほどいいし、文例を見ていくうちに、だいたいこういう場合にこの単語を使うというのもわかるようになる。


また「こういう時はこういう風に言う」と言った「お決まり文句」は覚えてしまったほうがいいように思う。


ドラマや映画は極力英語や中国語、韓国語で聞いたりしている。
ドラマや映画を見続ける(聞き続ける)うちに「耳で覚えて」感覚的に、「こういう場面ではこう言う」というのがわかるようになってくる。
これも一種の「お決まり文句」になるのかもしれない。


ミステリーを英語で読んでいるのだけれど、なかなか読み進まないのは、一つの文がシンプルでなく、修飾節が多いせいだと思う。
SVがシンプルに分かればいいのだけれど、なにがどうで、どうなのか、一見で理解できないことが本当に多い。
それで読むのに時間がかかってしまっている。
またミステリー(原書)を読み進める中で、比喩表現が多いのも、戸惑うもののひとつで、どういうことを意味しているのか立ち止まって考えるのは、まぁ面白いのだけれど、時間がかかることでもあったりする。
日本語の比喩表現を非日本語話者が難しいと思うのは当然かもしれない。
(例えば「もやしは足がはやい」という表現とか)


英語についてコーパス(corpus)についてもいろいろ調べてみたいし、類語についても知りたいので、こちらはいくつか本を探している。


英語のリスニングは、とにかく聞くことだと思うけれど、漫然と聞いていても聞き取れるようにはならないので、スクリプトや英語字幕を見ながら聞くようにしている。


そして思うのは、英語を話す機会がないと、なかなか英語を話せるようにはならないということ。
頭の中でフレーズが思い浮かんでも、なかなかスッと音にならないし、発音もこれで通じるどうかわからない。
通じるかどうかは、気軽に話せる英語話者もいないので、オンライン英会話や英会話アプリなどで試してみるしかないのかもしれない。



心理学。なかなか面白くて、奥が深そう

最近はネットやニュースを見るのは、最低限にして、できるだけ本を読むようにしている。
紙の本の場合もあるし、電子書籍の場合もある。


ミステリーも読むし、最近は心理学の本も読んでいる。心理学の本といっても専門書ではなく、エッセイに近い読みやすいものだ。

サクセスフル・エイジング しあわせな老いを迎える心理学

サクセスフル・エイジング しあわせな老いを迎える心理学

  • 作者:植木 理恵
  • 発売日: 2020/11/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
エリクソンコフート、ロジャース、ウィニコット、コールバーグといった心理学者をこの本で知ったのだけれど、
20代は20代の、30代は30代の、それぞれの年代で抱えやすい心の問題の傾向があって、
40代には40代の、50代には50代の課題があって…。
そう考えると、本当に落ち着ける年代というのはないのかもしれないなぁと。


年を取って、精神的に落ち着いたり余裕がでてくるものだと思っていたけれど、
実際は加齢による体の不調や周囲との関係など、ストレスは簡単には減らないものなのかもしれない。特に今はコロナ禍でもあるわけだし。


なかなか落ち着けない状況ではあるけれど、
それでもすこしでも穏やかでいたいと思うのは私だけではないだろう。
細々としたことに振り回されたくない。
日々受けるストレスは極力最小にしたい。
なんというか、もうめんどくさいことはしたくなくて、
なんでもシンプルに済ませたいと思う。
例えば、気に入ったもの買うために、あちこちのスーパーやショッピングモールを探し回るようなことはしたくない。探し回る時間も体力も気力も、もうないのだと思う。
もう無理はできないなぁと思うことも本当に多い。
無理をすれば、そのあとツケが回ってきて、結局自分が苦しんだり(寝込んだり)、周りに迷惑をかけることになる。
それは避けたい。


心理学についてはこれまでよく知らなかったのだけれど、なかなか面白くて、奥が深そうだ。
心理学に関する他の本も読んでみたい。


今年はのんびり、家の中で心地よく過ごせる方法を探す。

今年の抱負というわけではないのだけれど、
今年は少しのんびりしてみようと思う。
コロナ禍でなかなか外を出歩けないわけだし、
家の中で心地よく過ごせる方法を探そうと思っている。


部屋の電気が暗いのが気になり始めて、
さっそく変えた。
LED電灯だから長持ちするだろうと思っていたら、
そんなことはなかった。そのLED電灯はハズレだったのかもしれない。(溜息)


ラグ(敷物)も思い切って変えた。
敷物やマットは汚れるし、洗濯の手間暇を考えたら敷かないほうがいいと言う人もいるけれど、
私は何か物を落としたとき、床に傷がつくのが嫌で、あちこち敷いている。床の保護になっていると思っている。


クッションは新しいものを買った。
以前買ったものがすっかりへたってしまったので。


こういう感じで、身のまわりのものを少しずつ整える、それが意外に楽しくて、
「とりあえず使えればいいや」ではなく、
それを使っていて心地いいかどうかその視点を忘れないようにしたい。
一方で
まだ使えるのに捨てるのはもったいない」という視点も大事だと思っていて、
捨てる、捨てないの判断は、まぁケースバイケースだったりする。
壊れてもう使えないものみたいだとすっきりきっぱり捨てられたらいいのだけど、
そうじゃないものを捨てるのは、なかなか勇気がいる。あとから「あー、あれ捨てなければよかった!」と思うものがこれまでいくつもあったりする。なかなか買い直せないものは要注意だ。


話を戻して、
冒頭でも書いたように、
今年は少しのんびりするのもいいんじゃないかと思っている。
去年は本を読んだり、インプットらしいものをできなかったので、
今年はさまざまなジャンルの本を読んだり、英語でミステリーを読んだりしたい。
今読んでいる本↓

アガサ・クリスティ―の『スタイルズ荘の怪死事件』を読んでいるのだけれど、いやはや、読み進まない進まない。もうびっくりするくらい進まない。英語は手ごわい。英語独特の表現に頭の中がかき混ぜられまくりだ。


本を読んだり、インプットを増やすと、自然とアウトプットも増えていくんじゃないかと思っている。


思考を備忘録的、雑記的に残すためのブログ

ブログ、特に個人のブログは、比較的自由に書くものだ。
書かれたものは、読みたい人が自由に読むのだけれど、
やはりある程度の共感とか興味を持ってもらえるものでないと、読み続けてもらえないものだと思う。


もちろん個人のブログで、趣味で好きで書いているのだから、
別に誰にも読まれなくても、それはそれでよいと思う。


ただ、人の根底にある承認欲求というものは、なかなか消し去ろうにも消し去れないもので、
せっかく書いたのだから誰かに読んでもらいたい
となるのは自然で、
だからこのブログでも書いたことがあるかもしれないけれど、
ブログを更新したら更新したとTwitterなどで知らせるのがよい。
フォロワーの方が、もしかしたら読みにきてくれるかもしれない。
自分としては、淡々と更新して、淡々と読まれる感じが好みだ。


今はもうブログは流行っていないようにも思うけれど、
でも、私としては、それはどうでもいいことで、
流行っているとか流行っていないとか、そういうことには関係なく、
書きたいことがあれば、書くし、
書けないときには、書かないし、
本当に自由でいい。
だからブログが好きなのだと思う。


ブログに書く内容も無理して書く必要はなくて、
書きたいこと、無理せず書けることを書けばいい。
自分の思考を備忘録的、雑記的に残すためのブログであってもいい。


別にネットに公開しなくてもいいし、
ブログを公開するしない、それも個人の自由だ。


自分としては、せっかく好きなように書ける場があるので、
ゆったりのんびり書いていきたい。