情報を保存しておくこと。本を保存しておくこと。そのことに関して考えたこと。

情報収集術に関する本を読んで考えたこと。
情報を保存しておくことに意味はあるのか、ということ。
ここで言う情報というのは、自分が興味があることだったりするのだけれど、私の場合、ブクマしてそしてそれを整理することがない。整理する時間がないということと、ブクマしたものを再び読んだり活用したり、ということが稀なので、整理の必要性を感じないのだ。


必要であればまた検索すればよいわけで、本についても保存しておく必要性があるのか考えはじめている。


今まで本は捨てないし、売ったりもしないというスタンスできた。結果、本部屋と言ってもいいくらいの本ばかりの部屋がひとつできてしまった。そこにある本自体、どれも一通りは読んだことがある本ばかりだ。場所をとりすぎている本をどうするか真剣に考えている。また整理されていないので、そこも頭が痛いところだ。


整理するには時間とコスト(本棚)がかかる。
時間がかかるのは、私がもっとも嫌うところだ。


時間をかけて整理したところで、どれだけあとから活用するだろうか。
繰り返し読みたい本というのは、すでに別にまとめてあって、それ以上の分類、保存というのは必要がないのではないかとそう思いはじめた。


Web上の情報もそうだが、必要な情報を入手し、自分の中にインプットしてしまえば、あとの保存・整理にてまひまをかけるのは意味がないのではないか。


情報を保存しないわけではない。本当に必要なものだけを判別し、厳選して保存する。得た情報・読んだ本すべてを保存したところで、再び活用することは稀だ。むしろ、増えすぎた情報、溜まりすぎた本のせいで、本当に必要なときに必要なものを見つけ出せなくなってしまう、そんな危険性もあるのではないだろうか。

長文ブログは嫌われる?ほどよい文章量とは?


どうやら長文のブログ記事というのは嫌われるらしい。嫌われるというより敬遠されるという表現の方がいいかもしれない。


私は長文系のブログを好む。私自身長文を書く方だ。


しかし、長文は読む気にならない。と言われたことがある。


どれくらいの長さをもって長文とするのかわからないけれど、私が書いた記事でいえば、【雑文】ネットにおけるつながり感とか孤独感とか(かみんぐあうとっ)は、長文に分類されるだろう。


長文であっても、自分にとって興味のある分野であれば、読むのは苦にならない。また自分の得意分野について書くこともいくらでも書けるように思う。


長文であっても最後まで読ませるテクニックというものがあるだろう。
長文であっても読みやすければ、最後まで読んでもらえるかもしれない。
長文であってもひきつけるような文章、読者をひきこむような文章であれば、長文であることのデメリットはカバーできるかもしれない。


「長文だけれど、面白い」「長文だけど、最後まで読めた」そんな文章を書きたい。


もっとも長文の記事となると更新は頻繁にということにはならないかもしれない。
アクセス数を増やすには更新することだと思うが、長文をしばしばアップするのはやはり労力を要する。


ほどよい文章量の記事をアップするのがよいのだろうか?

そして、ほどよい文章量とはどれくらいのものなのだろう?

アクセス増は甘くない

アクセス数を増やしたいなら更新することだと思う。という記事を書いたけれど、

つまりはアクセス数の推移というのは↓のようになっているように思うからだ。

更新している間はアクセス数は上昇傾向にある。ニュースサイトにとりあげられたり、ブックマークされたりするとアクセス数は伸びる。しかしながら、更新しなかったり、あるいは更新期間があきすぎると、がたっとアクセス数は落ちる。すぐに落ちる。アクセス増は甘くないなぁと思う。


ただ、更新したりしなかったりでアクセス数が落ちるとはいえ、
それでも更新し続けていれば、

A→B→C

というように基本アクセス数は伸びていくように思う。

更新しないでアクセス増をのぞむというのは甘いだろう。

結局のところ、アクセス数を伸ばすには、更新するしかないのかもしれない。

アクセス数を増やしたいのなら……


ブログは更新してこそブログとしての意味があるんじゃないかな、と思った。
気軽に更新できるところがブログのよいところで、その利点を最大限に生かすべきなのに、
なかなか毎日更新とはいかないのが現実だ。


なにも難しいことを書き連ねなければならないということはない。
書きたいように書いていいわけだが、それが書けない。
読み手を意識しすぎると書けなくなるというのは私にはよくあること。
良い記事を書こうとすればするほど書けなくなる。
そもそもどういったものを良い記事というのか、ということもあるのだけれど。


更新しないブログは当然のことながらアクセス数も増えない。むしろ減る。それは当たり前のこと。
アクセス数を増やしたいと思うなら、更新するしかない。
更新すれば、誰かがみてくれる(かもしれない)。

選ぶということ。これでいいのだと思うこと


日々の暮らしの中でやりたいことが多くて、時折、いや、しばしばパニックなる。


忙しいという言葉は使いたくない。
忙しいの「忙」は心を亡くすと書くから。


そうmixiの日記に書いたら、(忙しいというのではなく)「やる事が詰まってる」 とそういう風に言うようにしているというコメントをもらった。
なるほどなぁと思う。以来、「忙しい」ではなく、「やる事が詰まってる」「やる事がたくさんある」と言うようにしている。


とはいえ、感覚的には「忙しい」というのは変わらないわけで、ふと空をみあげ、心の中をからっぽにして
ニュートラルなハイでもロウでもない状態をとりもどしたいと思う。




昔から、子どもの頃からあれもこれもそれもどれもとやってみる子だった。


大学時代でいえば、コンピュータの勉強をしつつも、音楽もやりたくて、演奏してステージに立つことが楽しくて、音楽ばかりやっていたように思う。一方で音楽をやりつつもバイトもめいいいっぱいかけもちでしたり、英語をめちゃくちゃ勉強してみたり、資格を取るのに夢中になったこともあった。


そして、あれもこれもそれもどれもやってみた結果、今の私がいるわけだけれど、結局どれも形として残っていないように思う。残ったのは学生時代にとったいくつもの資格くらいだろうか。しかしながら、いくつもの資格を有効活用しているような仕事を今しているかといえば、していないw


なんていうか、中途半端だな、と思う。
あれもこれもそれもどれも。


ひとつのことにひたすら打ちこむということができない。
いろんなことに興味がありすぎて、どれも面白くて、しかしながら、これといって極めるようなこともなく、そのうち熱が冷めていく。


あれもこれもそれもどれもやってみた結果、今では「ひとつのことに集中すること」そのことをこころ心がけている。(実際はなかなか集中できなかったりするのだけれどw)


人生は長いようで短い。いつ終わるかわからないのも人生。それなら、やりたいことをやっておく。いますぐ、なう!といった感じだろうか。


あれもこれもそれもどれも。
いろんなことに挑戦するのは楽しい。
楽しいからこそ、あえてやりたいことをひとつ選ぶ。
選んでとことんやってみる。


結局は自分の人生だから、自分で選んで自分がどう動くかだと思う。
人からどうこう言われ、すすめられ、アドバイスされたとしても、結局選ぶのは自分だと思う。どうするかは自分。


自分がどうしたいのか、そこらへんをはっきりさせておかないと、いつまでもふらふらしたまま時間だけが過ぎていくように思う。


あれもこれもそれもどれも。
やってみるのはいいことだ。
いいことだけれど、あれこれやったところで、どれも実になっていないことになりはしないか。


いさぎよくこれというものに決められないということもあるだろうが、それならそれでもかまわないと思う。
まだまだ試行錯誤の時期なんだと思う。
そのうち淘汰されていくものだと思う。


あるいは、一生試行錯誤するのも有りだと思う。
そしてその結果がこれだと、自分自身が受け入れられればそれでいいと思う。


選ぶことは難しい。
選んだあとだって迷うものだ。


選ぶのは誰でもない自分。
自分で選ぶこと。
誰かに相談したりしたとしても、最終的に選び、行動するのは自分。
誰かのせいになどしたくない。


自分で選らんだ。
だからこれでいいのだ。
そう思う。


自分で選んだことだから後悔ということは本来ないはずで、すべてはそれでよかったのだと思うようにしている。
なるべくしてなった、すべては自分が選んだ結果がそこにあるのだと。

まよいねこ

2008年09月01日23:40

近所でまよいねこをみつけた。
ずっと同じところいるねこ。
みたところ飼い猫っぽい。
すごく人なつっこくて逃げない。むしろ寄ってくる。
体は小さくて細い。こねこだ。


ちょっと犬っぽい。でも、ねこ。
日本ねこではない、かな。

私が住んでいるところ、道端でねこを見かけるのは実は珍しい。


ついつい気になってそこを見にいってしまう。
あのねこ、まだいるかな?って。


私を見てすり寄ってきて、photoみたいにリラックスして座りこんでるねこ。


今、夜中ですけど、雨降ってまして、あのねこはどうしてるのかなーと気になる。
とりあえず濡れないところに避難してるといいなー。
また明日見にいってみようと思う。

2008年09月02日22:00

まよいねこは今日もいた。
私の姿をみると近寄ってくる。エサとかはあげてないんだけど。
ねこはかなりコワイ系の顔をしている。
無表情なまま私の前に鎮座する。



今日はコオロギを食べてた。


この写真はコオロギがすきまに逃げこんで、それを必死にかき出そうとしているところ。


そういえば、昨日はポップコーンみたいな白く粉々になったスナック菓子を拾い食いしてた。
おなかすいてるだろうなぁ。

2008年09月03日21:05

まよいねこ。
今日行ってみたけど、いなくなってた。
うちに帰ったのかな。
それならいいのだけれど。


なんかさびしい感じ。
たぶんね、しばらくはそこ通るたびに
あのねこの姿を探してしまうと思うんだ。