考えを譲るということ。

私は、自由というのが好きなのですが、人はみんな自由に考えていいとそう思うわけで、世の中にはいろんな考え方をする人がいるんだなというのを忘れないようにしたいと思っています。


つい自分の考え方に固執して、自分の考え方こそが正しい、最良だ、となってしまいがちですが、そう思いこんでしまい、他の考え方を否定してしまうのはどうかな、と思うのですよね。自分の考え方も正しいけれど、他の人もまた同様に「自分の考えが正しい」と思っている。それゆえ、ぶつかりあったりするわけですが、そうですね、私はすぐにひくことが多いです。歳をとるにつれて、ひくようになりました。自分の考えをごり押しするようなことはしたくないというのがあって、なんていうのかな、相手の考え方もわかるんですよね。というかわかる人でありたいと、そう思うのです。


自分の考え方が相手に受け入れてもらえなかったとしても、それで終わりじゃないです。考えが合わなかった、ただそれだけのこと。合わない部分もあって、まぁそれはそれでしょうがないかなと、受け入れます。合わないものはしょうがないですし、相手に無理に自分に合わせさせようとするのも、僭越、というか出過ぎてますよね。相手のこと、相手の考えを考慮しない場合、トラブルは起きます。自分の考えばかり主張し、固執し、譲ることができず、決裂するということはままあります。これだけは譲れないという芯の強さも必要ですが、譲らないといけないときもあるのが現実で、譲ったからと言って、それで自分の考えが間違っていたわけではなく、否定する必要もなく、前に進むため、収拾をつけるためにはどちらかが譲る選択をするしかないんじゃないかなとそう思うのです。
譲る選択をすることで、自分に不利益になる場合もあるでしょう。そこは話し合ってうまく折り合いをつけて、お互い納得がいくようにするしかないかな、と思います。


自分の考えを譲れない人というのはいます。それはそれで仕方ないと思います。自分の考えを貫くという姿勢も大事ですし、そうすることでその人のアイデンティティを保持しているんだとそう思うようにしてます。それはそれで尊重すべきですし、変えようとしない人を変えようとするのはやはり無理なのですよね。その人にはその人の考えがある。じゃあ、まぁそれはそれでいいか。ってことで、寛容っていうのかな、許容するというのも、人間関係をうまくやっていくには必要なことのように思います。


考えを譲るということ。
譲らないといけない場面というのはやはりあります。
繰り返しになりますが、譲ったからといって、自分の考えが間違っていたとか、否定されたとかそういう風にネガティブに考える必要はないと思います。自分で自分の考えを持っていていい。ただ、それがいつも通用するかというとそうじゃないです。通用しない場合も多いです。譲らないといけないこともあるんですよね。


うまくまとまりませんでしたが、相手を言い負かすばかりがよいのではないのだと思います。自分の考えが通れば気持ちはよいけれど、相手からしてみれば面白くないし、もしかしたら反感を買うかもしれません。それはそれで仕方がない、気にしてもしょうがないという考え方もできますが、知らず知らずのうちに敵を作っていることになるかもしれません。言い負かされた場合、負かされた相手は結構しつこくいつまでも覚えていたりするものです。


やっぱり私としては穏かにいきたいなぁというのがあるので、そうですね、別に譲ってもそれはそれでいいんじゃないかなと。んー、なかなか難しいのですけれどね。譲るというより、認めると表現した方がよかったかな?