気づかされることのありがたさ。

誰かに何かを言われて、気づかされることあります。そのときは「あっ」と思って、ちょっと自己弁護したくなったりするのですけれど、あとからゆっくり考えてみたら、「ああ、確かにそうかも」と納得すること多いです。


自分では見えていないこと、気づいていないこと多いです。特に自分の癖というのは気づきにくいです。


例えば、私はブログでも普段の会話でも「たぶん〜じゃないかなぁと思います」といった曖昧な文末をすることが多くて、それは私の心理的内面的なものを反映しているようです。実際のところ、私ははっきりと主張するのはどちらかというと苦手で、割となんでも受け入れてしまう方です。鷹揚というか流されやすいというか。かなり感覚的だったりしますし。が、自分の感覚というのはなかなかわかってもらえないもので、ニュアンスでなんとなく通じる人もいますが、それはごく一部の人ですね。やはり言葉で言わないと伝わらないと思うわけで、できるだけ言葉で表現するようにしています。

言葉で表現しないと伝わらない。

それは思います。何も言わなくても伝わるのであれば楽ですけど。


本当は自分で気づくのがいちばんよいのだと思います。自分の足りないところ、未熟なところ、自分の傾向、偏り、癖etc


先ほども書きましたが、私の言葉遣いの文末の癖は、ある人から言われ、気づきました。ああ、私はそういう言葉遣いをしていたのか、私はそういう傾向にあるのか、と。言葉遣いの他にも、Twitterでの私の癖も最近ある人から言われて気づきました。


気づいたのなら、治すこともできます。自分に足りない部分に気づいたら、それを補うこともできます。治したかったら治せばいいし、足りなかったら補えばいい、そんな風に思います。
まぁ人は完璧じゃないです。足りないところ、未熟なところ、偏ったところもあるのが普通だと思います。自分では自分の癖や偏り気づきにくいです。気づかせてくれる人は本当にありがたいなぁと思います。