動かなければ変わらない。まずは動くこと。変わりたければ動くこと。

ちきりんさんの(『守る組織、守る人』 - Chikirinの日記)
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100418#
のこの記事に少し触発されているのですけれど、私は私なりにここ最近考えていることについて書いてみようと思います。


そうですね、最近も

  • 『生き残っていく上で強いのは変化力のある人、動ける人』

http://d.hatena.ne.jp/komoko-i/20100412/p1

  • 『会社が手放さないのはこんな人?』

http://d.hatena.ne.jp/komoko-i/20100416/p1
で書いているのですが、動かない人が増えていて困っている上司の人たちは多いんじゃないかなと。
一方で、動く人、フットワークの軽い人が重宝がられてというのはあると思うのですよね。
「動く人は動いて、同じような給料もらって、動きまわる分馬鹿みたいじゃね? なんでそんなに頑張らなきゃいけないの?社畜おつ!」
などと思う人もいるかもしれません。
まぁそう思う人もいると思います。
ただこういう時代ですからね、会社がどうなるかというのはわからないものです。
いつ会社がリストラを始めるか、人員整理を始めるか、やめたくなくてもやめなくてはならなくなるということも絶対ないとは言い切れないのですよね。

動く人間と動かない人間
どちらを会社は残すと思いますか。

動かない人間はいらない。
動かない人間は切られる。
仕事をしない人間は切られる。
いわゆるリストラにあったとしても驚くことではないですよね。


仕事をしない人間はいらない。会社としてはいらない。仕事をしない人に給料を払う余裕は会社にはなくて、もう会社もいっぱいいっぱいなんですよね。
会社としては存続し経営を維持していこうとします。
会社を維持するために、いろんな手を使おうとします。会社の経営で人件費ははっきり言ってどこも頭を抱える問題で、売り上げは落ち込んでいるのに、利益はあがってないのに、それでも給料は払わなければいけない。頭痛いですよね。
経営側は会社を守るため、切り捨てられる部分は切り捨てようとします。
私はリストラ断固反対派なのですが、それでもリストラは行われています。
リストラする会社に見切りをつけ、自ら去っていく人もいます。新しい会社でイキイキと働いている人もいます。自ら去って、次の会社を見つけられる人はいいです。そういう人は自分でリサーチしたり、自分で動くことができる。自分で動くことが出来る人というのは、やはりポイント高いです。他の会社に行ったとしても、自分で動き、自分の居場所を作ることができる。


が、問題なのは、自分で動くことができない場合です。
今勤めている会社から放りだされたら途方に暮れる人、いると思います。
絶対に放り出されることがない、とは言い切れないです。
業務縮小、統合等で、今の自分の席がなくなることも十分ありえます。
仕事ができて、これについてはこの人でないと、というくらいのものがあれば、席は確保可能かもしれません。あるいは他から引き抜かれたりということもあると思います。能力、技術がある人間が欲しいのはどこも同じだと思います。が、自分の席から動くことを嫌がり、会議を嫌がり、出張すら厭う人間を欲しがる会社、部署はないと思います。



以前の職場で、運転免許は持っているものの、ペーパードライバーで、運転ができない人がいました。
が、業務で、社用車で、あちこちに出向かないといけないのですよね。勿論、一人で。
その人は運転ができないということで、出向くときには誰か運転ができる者といっしょに出かけていました。
なんて非効率なんだ、と思いました。運転手にされた方も迷惑です。自分の本来の業務を置いて社外に出ることになるのですから。時間をとられます。
「実家の車で練習したら?」
と周りの人は言ったらしいのですが、結局車の練習はしないまま、車の運転はできないままだったようです。
そしてその人は仕事を辞めました。はっきりとした理由はわかりませんが、車を運転できないこと、運転しようとしないことで周りにマイナスの印象を持たれていたのは確かなようです。車を運転できなくて、会社に居づらくなってやめたんだとそう言っている人もいました。
結局、その人は動こうとしなかったのだろうと思います。実家に行くのが億劫だったのか、車を運転する練習が面倒だったのかもしれません。



資格があったり、他の人とは違うというものがあれば、そう簡単に放り出されることはないと思います。
そういう人は、むしろ守りに入るでしょう。守る動きに専念すると思います。優秀な人たちが一気に駆け上がり、そして守りに入ったとしてもそれはそれでどうしようもないです。彼らは彼らで守ることで生き残ろうとしているそれだけだと思います。


一方で、若い人は*1守りに入るには早すぎると思うのです。
守りに入るには早すぎる。
私もそうです。まだ守りに入るつもりはないです。
動いているか動いていないかといえば動いています。ひそかに動いています。
「どう生きればいい?」
みたいな感じで考えこんでどっぷりハマりこんで動けなくなっている人いると思います。
ええ、考えてもいいのですが、ただその一点だけに集中して哲学的思考を展開しても、考えるだけでは何も変わらない、そう思います。時間が過ぎていくだけです。年をとっていくだけです。

ともかくドアを開けてみようよ
動いてみようよ

とそう思います。


情報はネットでいくらでも玉石混合で手に入ります。
情報はどんどん利用していいと思います。
情報が手に入らない時代じゃないです。
自分で調べ、情報を得る。それも自分で動くことだと思います。
ただ情報を得て、それで満足するのではなく、それからさらに動くこと、なんですよね。
資格をとりたいと思い、資格に関する情報を得たら、資格試験用の問題集や過去問を実際に買って勉強する。あるいは学校等に通う。通信教育で勉強してみる。継続して勉強する。そこだと思います。
案外ですね、問題集を買ったり、少し自己流で勉強して飽きてしまう、勉強をやめてしまう人が多いのだと思います。動き続けていれば、勉強し続けていれば効果は必ずあるものだと思います。効果がないのは、勉強していないから、勉強という動きをやめてしまったから。
合格率はさまざまですが、どんな試験も合格者は必ずいるわけですよね。
合格しないのは、勉強していないから。ぶっちゃけそういうことだと思います。勉強していれば受かる。点数が取れれば受かる。点数が取れないというのは、勉強が足りない。あるいは、勉強の仕方が間違っているのだと思います。時間さえかければいいというわけではなく、ポイントやコツというのはあるのですよね。どんな試験も。傾向と対策は必要です。過去問を解くことも。自己流で合格できないのな、資格取得の学校等に通うというのも手です。その方が効率がいいということもあります。お金もかかりますが、お金をかけて通っているということで勉強もするというのはあります。○○万もかけたのだから、絶対にこの資格は取ってやる、と。


将来は○○○になりたい、というか、そういう仕事をしたいなぁと、そう思うのであれば、動くことだと思います。情報収集したり、実際に勉強を始めたり、そういった仕事をしている人について調べたり、業界について調べたり、求人情報を探してみたり、いくらでもすることはあると思います。

勉強はなんのためにするのか

と聞かれたら、

自分のためにする

そう答えます。

前向きになるには、どうしたらいいですか

と聞かれたら

目標を持つことだ

と答えます。


目標があれば行動できるというのはありますよね。
目標に向かって動くことができる。
大きな目標でなくてもいいんです。
こうなったらいいな、とか、こういうことをしてみたいな、とか。
高みにいる人というのはすでにいます。
優秀な人もすでにトップに駆け上がってます。
彼らは彼らで守る動きに入っている。
彼らには彼らの世界があって、彼らは彼らのレベルで実際は凌ぎを削り合っています。
それはそれでいいです。彼らは彼らの世界で頑張っている。
問題は自分です。
自分はこれからどうするか。どうしたいのか。どうなりたいのか。
守りに入るには早すぎます。
まだまだ動いていい。


このままじゃダメだ。変わらないと。
変わりたい。
変わらなきゃ。


変わりたかったら動いてみること。
そう思います。

動かなければ変わらない。まずは動くこと。変わりたければ動くこと。

*1:若い人と書くと語弊があるかもしれませんが、あえてわかりやすく若い人と書きます