誰かに嫌われるのを怖がっていたら、ブログは書いていけない。

インタビューズやってます。
http://theinterviews.jp/komoko
こんな質問をいただきました。

千人に好かれて十人に嫌われるのと、十万人に好かれて九万人に嫌われるのと、どちらがいいですか。
http://theinterviews.jp/komoko/2120583

こちらは、その回答関連の記事になります。

以前、まなめはうすのまなめさんのブログ記事「嫌われないようにするか、好かれようとするか。」のトラックバック記事として

「ついてくる読者はついてくると思う。それでいいんじゃないかな」
http://d.hatena.ne.jp/komoko-i/20071214/1197644402

という記事をブログをはじめてまもない頃書きましたが、そこに書いた考え方は今も変わってないです。

好き嫌いというのは正規分布ではないと思っています。

正規分布における標準偏差は二次のレベルで、三次のレベル:歪度(三乗平均)つまり「データの偏り」を考慮する方が適切である。
より多くの人に好かれること、正の方向に偏ることもある。


(komoko作SKEWのグラフ)
正の方向に偏ること、これは多くの人が望むことだと思います。また、正の方向へ偏らせること、これもまた可能だと思います。人は基本的にポジティブなものに惹かれる、そう思っています。


さて、もう少し突っこんで書くことにします。

またブログを例にあげますが、私個人としては、

どんなに多くの人に読まれ好かれたとしても、届けたい人に届いていなかったら、虚しい。

そう思います。
勿論届いているか届いていないか確認することはできません。でもですね、逆に確認できないからこそ、こうして続けていられるというのはあります。もしかしたら届いているかもしれない。伝わっているかもしれない。その微かな希望くらい持っていてもよいかな、と。

勿論、届いているかどうかいちいち聞くなんて野暮なことはしません。

また、届いていないかもしれないんだから、やめてしまおう。そういう風に思うこともないです。虚しいとしても、届けたい人に届いていないとしても書き続けるくらいの覚悟はできてます。

届けたい人に届けばうれしい。
もし届いていないとしても、それはそれで仕方ない。
届くようなものを自分が書いていないのだから。そう思います。


ここは自分のブログで、自分が書きたいことを書く場所です。「嫌われるかもしれないから書きたいことも書けない」とかそれは本当にもったいないことです。

嫌われるのがこわい。その心理もわかりますが、嫌われたらどうなるのでしょう?誰かに嫌われたら、もう生きていけないのでしょうか?
そんなことはないと思います。人は誰かに好かれ、誰かに嫌われます。多くの人が不快に思うような文章を書けば、それはそのまま自分に返ってきます。挑発するような文章を書けば、それに応じた文章が返ってくるもの。それだけです。

どんな文章を書いたとしても嫌う人は嫌います。
それはこちらはどうしようもないです。

好きになってくれる人は好きになってくれます。
その好きになってくれる人を大切にしたいし、長くつながっていたいとそう思います。

結論としては、

誰かに嫌われるのを怖がっていたら、ブログは書いていけない

ということになるでしょうか。
届いても届かなくても書き続ける覚悟があれば大丈夫。ブログは細々と続いていくと思います。続けていくうちにまた好きになってくれる人がいればうれしいです。私は私が書きたいことを書いて発信します。書きたいことを書いて発信できるこのブログが本当に好きなので。