落ち着いているのは良いことか悪いことか。

最近のわたしはかなり落ち着いている。精神的に落ち着いている。悪く言うと「停滞している」と言ってもいいかもしれない。


そして思う。

落ち着いているのは良いことか悪いことか。

落ち着いているのは良いことのようにも思えるけれど、落ち着きを好むことは変化を避けることにつながって、現状維持の状態(先ほども書いた停滞している状態)となってしまい、そうなるとむしろ良くないことのようにも思える。


常に変化を好み、世界を旅するように風のように生きている人を知っているけれど、わたしとその人は本当に対照的だと思う。対照的だけれど、その人とうまくいかないかというとそういうことはない。わたしも外のいろいろなものを見聞きしたほうがいい。外に連れ出してくれる人がいるのは幸運なことだと思う。


わたしはその人を含め誰かの生き方についてどうこう言うつもりはない。本人が良いと思う生き方をするのがいちばんで、外野がとやかく言う必要はないと思う。


ただ、わたしは落ち着いたほうが好きで、何もないほうがいい。変化がなくてつまらないと思うこともない。ネットや本があれば退屈もしないし、エディタで思うままに書くだけでも十分楽しい。


もし落ち着いた人ばかりが集まった場合、それはそれで丸く穏やかな集団になるかもしれない。揉めたりトラブルが起きたりすることも極少なく、仲良しこよしで居心地はいいだろう。


が、社会の中では仲良しこよしでいつもつるんでいるわけにもいかない。少ないパイをとりあい奪いあい、お人好しではいられないのが現実。ぼーっとしているうちに自分の席がなくなることも十分ありえる。


社会問題に声をあげ意見する人もいなければいつまでたっても問題は解決しないままだし、実際に動く人がいなければ何も変わらない。動く人がいるから変わっていく。


とまぁ、こう書くだけなら簡単で、実際動くのは大変だ。かくいう最近の私はほとんど動いていない。


一旦落ち着いてしまうと動くのが億劫になるというのはある。
「まぁしょうがないよね」
「まぁそういうこともあるよね」
と片付けてしまう。
それは良いことなのか悪いことなのか。
なんにでも寛容に鷹揚になってしまってよいものだろうか。


「最近の私はほとんど動いていない」と書いたけれど、正確には「動くに動けない状況」と書いたほうがいいかもしれない。
動けない。
でも考えることはできる。
思考停止だけはしたくない。
それは強く思う。


自分なりに考えて考えて考えぬく、そういう時間を持ちたい。
そしてできるだけ思考したことを書いておきたい。
あとから読み直し、さらに思考するためにも。


落ち着いている今、思考するのは良いことかもしれない。
さなぎになったつもりで今しばらく思考したい。