悔しさと後悔で打ちのめされたとしても

タイトルからして、身構えてしまいそうなタイトルだ。
でも、まぁ1000字くらい書いてしまったので、アップしてみる。
ここに書いてあるのは、真夜中の「個人的なつぶやき」だ。


わたしという人は、人あたりのよさや順応性の高さのおかげで、わりと器用に生きているように見られるらしい。
いやはや、器用とかとんでもない。人あたり?順応性?いつも必死だ。
実際のわたしは、完璧を求める頑固さで、神経をとがらせて、見えないところで、あがき、もがいている。
そして、具体的にここでは書けないけれど、悔しさや後悔をずっと抱えていて、
自分の中にこの悔しさや後悔の問題は、いつまで経っても解決できないものとして鎮座している。


誰しも、ひとつやふたつ、あるいはそれ以上の悔しさや後悔といったものを抱えているものなのかもしれない。


悔しさをバネに、がんばるけれど、がんばるだけ、努力するだけではどうしようもないこともあって、
それでもあきらめられないでいるわたしは我ながら頑固者だと思う。


過去にこだわるのではなく、どうせこだわるのなら、今できること、これからできそうなことにこだわったほうがいい。


このブログを続けているのも、私にできることのひとつだからだ。
ブログを書いていて、つらいこともあったけれど、
それも過去のこと。
「過去は生ゴミ、そのうち肥料になる」みたいなことを過去記事で書いた気がする(うろ覚え)。


自分の中の悔しさや後悔がいつ解消されるのか、今は見当もつかない。
もしかしたら、ずっと解消されないかもしれない。
それはそれで運命と受け入れるしかないのかもしれないし、
自分の力でなんでもどうにでもなると思うことこそ驕(おご)りだと、傲慢(ごうまん)だと、
往復ビンタで目を覚ましたほうがいい。(今、自分に言い聞かせている)


悔しさと後悔で打ちのめされたとしても、
それでおしまいじゃない。


今できることをして、これからできそうなこと、やってみたいことがあるから、だからおしまいじゃない。

やってみたいことがあるというのは、生きる意欲につながるんだなと思いつつ、
今日はこのへんで。