マンガ『きのう何食べた?』22巻を読んで、つらつらと考えたこと

気づけば、もう22巻。なかなかに続いているなぁ、すごいなと思うわけで。
以下ネタバレ的なものも含まれているので、ネタバレを踏みたくない人は、そっと閉じ推奨。


きのう何食べた?』で好感を持っている点は、時間がどんどん進んでいる点だったりする。
つまり、登場人物が皆、「年をとっていて、変化がある」。
筧(かけい)さんしかり、ケンジしかり、登場人物がそれぞれ年をとっていて、実際あるあるなイベント(エピソード)がちりばめられている。


読み手も同様に年をとっていくわけで、年をとっていくがゆえに経験するであろうことをマンガで扱っていて、架空のキャラクターでありながら、現実感のあるイベント、エピソード、環境etcだからこそ、飽きずに「ある種の親近感」を持って読み続けられるのかな、と。


22巻では、小日向さんとジルベール(ワタル君)が結婚式をあげているのだけれど、その点も着々と進んでいるなぁと。


そして、この結婚式で、筧さんはスピーチを頼まれているのだけれど、いやはや、さすがというか、『職業柄 法廷とか 人前で話すのは 慣れてますので』とサラッと言ってしまうあたりが筧さんらしくて良いな、と。(筧さんの職業は弁護士)


で、わたし的には、筧さんがこのマンガの中で一番変化していると思う。
いい意味で性格的に丸くなってる、許容範囲が広がってきているというか、筧さん自身、ケンジと暮らし続けることで変化して(勿論、ケンジも変化しているのだけれど)お互いに影響を与えつつ、よい感じで関係が保たれているように思う。


ケンジのほうが、筧さんよりも確か若いという設定で、作中のなかでもケンジは精神年齢が低い(若い)と思うことが多いのだけれど、まぁそれは職業柄(美容師)若いほうがよいのかもしれない。


そんな精神年齢が若いケンジの性格を私自身うらやましく思うことも多い。
自分がどちらかということ筧さんに近いタイプなせいもあるだろうが、天真爛漫というか、自由な言動というか、情に熱いところ(ヤキモチ焼きだったりするところ)とか、自分にない部分をうらやましいと思うとともに、筧さん同様、鬱陶しいなあとか、めんどくさそうな人だなぁと思ったりもする。
しかしながら、鬱陶しいとかめんどくさいとかそういう部分も許容できたり、抱えられるようになるのは、年をとったからなのかもしれない。年をとったがゆえに得たものは、年をとってみないとわからないものだ。


年をとって、「様々な経験は結局のところマイナスにはなっていないのだな」というのを気づくのは、本当にずっとずっと後になってからだ。


マンガ『きのう何食べた?』22巻を読んで、本当はもっといろいろつらつらと考えた。
なんとか1000字程度におさめたいのだけれど、おさまるだろうか。(いや、既に1000字超えてるようだ)


年をとっていくことは当然のことで、年々あるいは日々変化していくのは当然のことで、あまり過去にはこだわらないほうがいいのかな、と。
過去を振り返るよりは、今を、これからを見ていたい。
「どう変化しても、自分は自分だ」と。
まぁ長くなってしまったので、今日はこのへんで。