原書を読むには…

昨日の記事で書いたけれど、
komoko.hatenablog.com
アガサ・クリスティーのミステリー小説を翻訳を読まずに原書だけで読むのに挑戦していたのだけれど、途中で止めてしまった。


原書を読むには、語彙力(単語力)が必要だ。私は語彙を知らな過ぎて、英単語のひとつやふたつ分からないくらいだったら、まぁいいのだけれど、ひとつやふたつ分からないどころではなかったし、長文、それも相当な英語の長文を読み続けるには気力、集中力が必要で、途中まで読んで疲れてしまった。なかなかストーリーが入ってこなくて、全然楽しめない。英語特有の言い回しとニュアンスの蔓(つる)が複雑に足元に絡まって、動けなくなってしまった。


自分の母語以外の文章を大量に読んで意味がわかること、イメージできること、これは実はすごいことなのではないだろうか。


自分の場合、ミステリーは「とにかく謎を解きたい」ということに重きを置くので、それなら無理に原書で読まなくても、翻訳されたものがあるのだから、それでいいのでは…という結論に至った。原書で読むには、自分の英語のレベルが低すぎた、ということだ。


一方で、アガサ・クリスティーのポワロのシリーズは原作(翻訳されたもの)とドラマ版のちがいを探すのが目下の楽しみになっている。ドラマ版の場合、時間的な制約があるので、どうしても設定を変えたり、省略したりしなければならないところが出てくる。それは仕方がないことだ。そもそも長編小説をドラマ版だったら1時間半にまとめなければならないのだから、破綻なくまとめられるのがすごいと思う。(よくぞ1時間半にまとめたなぁ的な)


というわけで、今日の読書メモ。

これは面白かった。『鳩の中の猫』の次くらいに。



ストレス解消には…

ストレス解消について考えてみたので書いてみる。

ストレスフルな人に知ってほしい図解「アメリカカウンセリング学会推奨『ストレス解消法』100」…「古い友人にメールをする」「猫は神」「まずは楽しめ」など - Togetter

時間が必要なものは、なかなかできない気がする。いかにストレスになるものを遠ざけるか、そっちの方を考えたいけど、自分でどうにもならないものは、あきらめるしかない?

2021/09/07 13:09

ブコメでは、自分でどうにもならないものは、あきらめるしかない?と書いたけれど、
ストレスは、「ストレス」と言う言葉を知った時点で、もうその存在を消すことができないものになってしまったわけで、
ストレスになるものを遠ざけられるのだったら、できるだけ遠ざけて、なんとかうまく付き合っていくしかないのかな、と。

うまく付き合っていく=ストレス解消ということになるのかな、と。
ストレス解消によって一次的ではあっても「ストレスが減る」というのは大いに意味があることだと思う。


さて、ストレス解消について、私の場合なんだろうと考えたとき、本を読むこと、映画・ドラマを見ることかなと。
特にミステリーものを読むこと、見ることが多くて、謎解き、推理するのが好きだ。
トリックや謎が解けた時の快感は、ミステリーならではだ。長編の場合、読み切ったという達成感もある。



ここの載せたのはほんの一部で、ぱっと思いついたものを載せてみた。
他にも未読のミステリーはたくさんあるし、読みたいミステリーもある。


なにかに夢中になるというのは、ストレス解消になる。
そしてそのストレス解消には、時間が必要で、
1日に1時間は無理でも30分でもいいので、ストレス解消の時間を作るようにしたい。


人の名前がなかなか覚えられない

人の名前がなかなか覚えられない。
しかもそれがカタカナだとなおさらだ。


本はミステリーを読むことが多い。
このブログのどこかでも書いたけれど、アガサ・クリスティーをよく読んでいる。
原書を読むのにも挑戦したけれど、これは途中で止めてしまった。
今は素直に翻訳されたものを読んでいる。


読書メモとして書いておくと、

どちらも登場人物が多くて、名前をなかなか覚えられなかった。


が、ドラマ(DVD)で見てみると、
意外とすんなり頭に入ってくる。本で読んでいるせいもあるけれど、
画で見るほうが登場人物と名前の一致は格段に早い(私の場合)。
画の持つ情報量が記憶に拍車をかけているのだと思う。


『漫画で覚える~~~』という本をよく見かけるのも、画が(絵が)あったほうが、イメージしやすい=覚えやすいから、いろいろと出版されているのだろう。


『鳩のなかの猫』(ドラマのほう)で、ケルシー警部を演じていた俳優さんを、他の映画かドラマで見た気がするが、名前がわからなかった。というより、人の名前がなかなか覚えられないので、ドラマでたまに見かけるけど、名前は知らないという俳優さんは結構多い。


どうにも気になったので、調べてみたら、ケルシー警部を演じていた俳優さんはアントン・レッサーという俳優さんで、『刑事モース〜オックスフォード事件簿〜』のブライト警視正を演じている俳優さんだった。(『刑事モース〜オックスフォード事件簿〜』はAmazonのPrime Videoで見た)


映画やドラマを見ていると、同じ俳優さんがあちこちで別の役をされていることは、よくある。それを発見するのは楽しかったりする。

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過去を振り返るよりも

過去、自分が書いたものを読み返すのは、味付けを間違えて、もう食べたくない料理を無理に食べるのに似ている。


「無理に食べなくて(読まなくて)いいよ」
と推しボイスで脳内再生してみる。(なに書いているんだ?)


当時はそれで「よい」と思って、アップしているわけだけれど、
しかしながら、ブログという媒体は、あとあとまでずっと残るところが良いところであり怖いところである。


もう何度書いたか覚えていないくらい(というか覚える気もないのだけれど)、私は自分の過去記事を読み返さないのだけれど、
まちがえて靴下を裏返しに履いてしまうことがあるように、ふと読み返すことがある。
そんな感じで読み返したあと、猛烈に日本からウルグアイの東、約1000km離れた大西洋に到達するまで穴を掘りたい気分になる。(掘らないけど、いや、そもそも掘れないけど)


当時はそれで「よい」と思ったのだから、もうそれでいいではないか。
こう開き直れるのは、年を取ったからだろう。


昔だったら、気に入らないところをいちいち修正していたかもしれない。


今は、いちいち修正することはない。
それは何故か。
そんな暇はないからだ。(そしてめんどくさい)


過去を振り返るよりも、これからのことを考えていたい。
まぁこれからのことを考えて、不安になったりもするのだけれど、
昨日も書いたように、
komoko.hatenablog.com
悲観的な想像は、フェールセーフとなるものを設定することができるので、必ずしもマイナスの悪いことではない。
つまり、故障や不具合、最低最悪のことが起きたとして、その際どうするか、ということを予め考えておく、これは大事なことだと思う。


一方で先のことばかり考えていると、目の前のことが疎(おろそ)かになるというのはある。
逆に、先のことを考えたくなくて、目の前に迫るものだけをとりあえずこなすということもある。
どちらも私には「あるある」だ。


結局、何を書きたいのか分からなくなってきた。
でもまぁ今日の記事をまとめると、
過去を振り返るよりも、これからのことを考えていたい。
ということなのかもしれない。


と、ここまで書いたら、
「過去から学ぶこともあるよ」
と推しボイスが脳内で囁いてきたけど、それについてはまた今度かな。



「知ること」と「想像力」、そして「知らない世界」

タイトルにも書いたのだけれど、「知ること」と「想像力」、「知らない世界」について書いてみる。


本やネットやテレビなどのメディアから「知ること」は多い。
あるいは自分で実際に見たりや経験したりで、いろいろなことを知る。知るという行為は日常的な行為だ。
「知る」が「知った」「知っている」に変化したとしても、それら「知ったもの」「知っているもの」はすべてではない。
本やネットにもテレビにも自分の目にも映らない、自分で経験していないものがある。
それはいわゆる「知らない世界」になる。


本やネットやテレビで見る世界は、誰かがそれを見せたくて(見せるために)切り取った意図的なものだ。恣意(しい)的なものと言ってもいい。
切り取られた世界は、本当にほんの、ごく一部にすぎない。


自分の目に映らないものは知ることができないし、したがって興味関心を持つこともないし、まして経験していないものについては、よくわからないので、想像のしようがない。なんとなくは想像できても、それは想像でしかなく、実際とは異なるだろう。想像と現実(実際)とは必ずといっていいほど差異、ズレがあるものだ。


「想像力」には限界がある。どれだけ想像の翼を広げたとしても、「知らない世界」を「知っている世界」にすることはできない。


では、「想像力」は意味がないのか。
そんなことはないだろう。


「想像力」はよくも悪くも、自分の心に影響を及ぼす。自分で想像し、楽しくなることもあるし、自分で自分の首を絞めることもある。悲観的な想像というやつだ。悲観的な想像は、マイナスに捉(とら)えられがちだけれど、そうではなく、危険の想定ができるということ、そうならないためにはどうしたらいいかという考えをめぐらすことができると捉えれば、必ずしもマイナスではないだろう。


この本は私が悲観についての見方を変える本になった。


この世界にあるものすべてを知ることはできない。必ず知らない世界がある。「無知の知」ということばもある。


まだまだ知らないことがある。それは「知る」楽しみが残っているということでもある。
知ることは楽しい。そして想像することも。
でも想像を「暴走させる」ことだけは気をつけたい。


長くなったので、このへんで。



「~なきゃ」を止(や)める

長月になった。


確か8月23日から唐突にブログを再開したように思う。
再開した理由は既に書いたような気がするので、もう書かない。


毎日というわけにはいかないけれど、しばらく書けるときに書こうと何となく思っている。


書けるときに書こうくらいのスタンスが楽だ。
「書かなきゃ」というのは嫌だ。
「書かなきゃ=書かなきゃいけない=書かなければいけない」
ということになるからだ。


仕事しなきゃ
このフレーズには溜息がもれなくついてきそうだ。眉間にシワもできているかもしれない。

他にも
読まなきゃ
調べなきゃ
買わなきゃ
掃除しなきゃ
(報告書)出さなきゃ
(早く)寝なきゃ
(早く)起きなきゃ
食べなきゃ
飲まなきゃ
……etc
これだけ書いているだけでもストレスが溜まる。
自分で書いて、自分でストレスを溜めているんだから、なんともやるせない。


「~なきゃ」と自分に強制するのが嫌なのだと思う。(他の人に「~なきゃ」と強制するのも嫌だが)


なので、「~なきゃ」は止(や)める方向で。
「~よう」のほうが、自発的でストレスも溜まらないかもしれない。(個人差はあるだろうが)


例えば
仕事しよう
読もう
調べよう
買おう
掃除しよう
(報告書)出そう
(早く)寝よう
(早く)起きよう
食べよう
飲もう


これらは自分に対しても他の人に対しても言うことができる。
「~よう」は、「~なきゃ」よりもマイルドでよいかもしれない。


というわけで、長くなってしまったので今日はこのへんで。


図書館は時間予約制にして本を借りられるようにしてほしい

緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の実施期間中ということで、図書館が休館中というところも多いのではないだろうか。(緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の実施期間は8月31日現在、令和3年9月12日までとのこと)


密になるから休館しているのだろうというのがまず頭に浮かぶが、それなら美容院等でやっているように、予約制で一度に入館できる人数を制限したらよいのではないだろうか。例えば30分単位で、映画館のように入れ替え制で、月に2回まで利用可など。
さきほども書いたが、図書館利用者ナンバーを使って事前予約制にして、入館の際は、図書館利用者カードを提示することで本人確認も取れるように思う。
前もって予約しておけば、借りていた本も返せるし、また30分あれば新たに本を借りることもできる。
私が住んでいる地域では、まったく利用できない状態が続いていて残念でならない。


私は詳しくないのだが、Web上のそういうシステムを作るのは難しいのだろうか。いや、美容院等でそういう予約システムはあるわけだし、それを図書館もならって作ることは可能だろう。


特に調べてはいないのだけれど、もしかしたら、もう予約制で利用可能にしている図書館もあるのかもしれない。


ここまで書いて、Web予約といっても、皆が皆ネットにアクセスできるわけではない、という点について書く必要があるように思った。Webでの予約ができないのなら、電話予約も可、というのが思い浮かんだが、そうなると図書館側が大変になるかもしれない。電話予約受付係が必要になるので。電話受付は図書館の開館時間内ということにすれば、いいような気もするのだけれど、どうだろうか。