複雑で不明瞭、多種多様で、しかも変化

下の記事を書きながら、混沌とか迷宮とかをテーマにラノベを書きたい気分になったのは内緒にしておきたい。
komoko.hatenablog.com


さて、今日も書く。書きたいことがあるうちに「鉄が熱いうちに打て」的に書く。


言葉もそうだのだけれど、自分の仕事も複雑で不明瞭で、多種多様で、しかも変化していくから、面白いのかもしれない。
もし簡単明瞭で、単純明快だったら、楽かもしれないけれど、多分すぐ飽きる。


自分の手に負えないくらい難しすぎるのは困るけど、複雑で不明瞭なものをどうにかするというのはワクワクする。多種多様で、しかも変化。ほう、どれほどのものか見てみようじゃないか、と。


なんというか、自分のことについても、「私は~だ」みたいに簡単に定義しないほうがいいような気がする。シンプルなほうがいいという考え方もあるけれど、いや、人ってそんなにシンプルにひとことで言えるものじゃないでしょ、と。


自分に二面性があるのはわかっているし、もしかしたら二面どころじゃないかもしれない。いわゆる多種多様?
カテゴライズするのが昔から好きではなくて(苦手で)、ブログでもタグをつけるのが好きではない(どうつけていいかわからないともいうのもあるが)。カテゴリーもタグも否定はしないけれど、まぁそれにとらわれないというのもよいのではないか。


昨日、自分の初期のころの記事を読み返したのだけれど、うん、変わった。ずいぶん変わったね。やはり過去の私は過去の私でしかなくて、今の私とは違う。2024年の秋でこのブログも17歳になるようなので、そりゃまぁ変わるわけで。


このブログ記事が多種多様かどうかはベランダにでも置いておいて、変化しているのは確かだ。
ストックを持つようになったり、予約投稿しはじめたりというのも変化した(変わった)点だ。
「考えたことを文章にする」というのは変わっていないけれど。


複雑で不明瞭なものをどうにかするのが好き。
これはここに書いたからわかったことで、やはり「書くというのは良いこと」なんじゃないだろうか。
「書くことによる気づき」というのはよく言われることかもしれないけれど。


複雑で不明瞭なものをどうにかするのが、たとえ徒労に終わることであったとしても、好きなのだから仕方ない。ざるで砂を運ぶような作業だとしても、ざるだと気づいた瞬間、他の物に持ち換えることもできる。ゴールを変えることもできる。


長くなってしまったので、今日はこのへんで。
ブログのstyleはこれからも変わるかもしれないけれど、1記事は1000字前後というのは、keepしていたい。
ストックがあったらPM9時に予約投稿します。ストックがなければ投稿されませんので、あしからず。



混沌とした迷宮状態

ここのところ「不安」をテーマに書いているのだけれど、
komoko.hatenablog.com
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このブログを遡れば、まぁ出てくる出てくる。
昔から息をするように不安を感じているんだなぁと。


不安なものは不安なんだと開き直ってみるのも有りだけれど、どちらかというと、その不安について分析したり言語化するのが好きで、だからこそこのブログも続いているわけで。


多分、分析するに、自分の内側は迷宮状態で、混沌としているのだと思う。そんな混沌とした迷宮を堂々巡りしているから不安になるのだと思う。


なんというか、目指すゴールのようなものはあるのだけれど、なかなかたどり着けず、たとえたどり着いても「ん?なんかちがう?」と。
また違うゴールを設定しなおして、でもなかなかたどり着けなくて…。そういうことの繰り返し。「彷徨(さまよ)う旅人」と書くとなんかかっこいいけど、私の場合「いつまでもゴールにたどり着けない迷子」だ。


ゴールなんか設定しないで、ゆるーくテキトーでいいとも思うのだけれど、それはそれで不安になったりで、アンビバレンツだなぁと。


ゴールを設定してそれに向かって試行錯誤するほうが性格的に合っていると思う一方で、自分で自分の首を絞めている(過労、疲労困憊している)のも事実だなぁと。(なかなかゴールにたどり着けないから)


混沌とした迷宮状態で「いつまでもゴールにたどり着けない迷子」


さきほど「混沌とした迷宮を堂々巡り」と書いたが、正確には「堂々巡りではない」ということに書きながら気づいた。同じところを巡っているわけではない。
思ったゴールではなかったにしろ、Aというゴールに向かって試行錯誤してみて、「うーん?」となって。
次はBというゴールに向かって試行錯誤して「むむむ?」となって。
迷宮は迷宮なのだけれど、AやBといったゴールを目指して、それまでとは違うところを彷徨い歩くという表現のほうがいいだろう。


今書きながら思うのは、この混沌とした迷宮状態が実は好きだったり、心地よかったりするのではないだろうかということ。
長年親しんだというか、住めば都というか。


息をするように不安になっていれば、もうそれは常態(平常の状態)なのかもしれない。
混沌としてるし、迷宮状態だし、でもそれが面白かったりもするし、不安は不安でも十年、十五年前の不安とは違う気がするし、少しはアップデートしているようにも思うし。


まぁ、時々は自分が書いたものを読み返そうかな。


長くなってしまったので、今日はこのへんで。


ストックがあればPM9時に予約投稿されます。
ストックがなければ更新されません。あしからず。


その人にしかわからないもの

不安について、このブログでもいろいろと(?)書いているようだ ↓
komoko.hatenablog.com
読み返して、「んんん?こんなの書いたっけ?」となったのは内緒。
自分で書いたものを読み返すことがほとんどないので、書いたものを忘れることはよくあることだったり。


過去書いたものを読み返して、「なるほど、参考になるなぁ」と思うあたり、完全に他者視点で読んでいるわけで…。


おそらく「過去の私」と「現在の私」は時間的に全く別人で、本当は同一人物でありながら、「過去の自分」は「遠い人」「記憶から消えつつある人」のようなもので、ぶっちゃけ、「過去の自分」をよく覚えていなかったりする。言いかえると、過去の都合の悪い部分は忘れてしまうということかもしれない。


過去自分が誰かにされたことはいつまでも執念深く覚えているくせに、自分がなにかをしたことは都合よく忘れていたりする。自分がしたことを全部を忘れてしまうわけではないけれど、自己保身のための忘却機能が働いているのかもしれない。まぁ防御機能といえば防御機能と言えるのではないだろうか。


さて、話を戻そう。
不安ゆえに何かをしておきたい、対策的な、いざというときの非常時持ち出しセットみたいなものが欲しくなるというのが周期的に湧き上がってくる。
自分にはこれがあるから大丈夫というような安心材料が欲しくて、それが過労に拍車をかけているとも言える。


そもそも、どうしてそんなに不安になるのだろう?
どうして?と自分に問うてもよくわからない。端的に言葉で言えない。
不安なものは不安なのだ。


その不安は、その人にしかわからないもの。


不安を孤独に言い換えてもいい。
苦しさ、生きづらさという言葉に言い換えてもいい。


人はそれぞれ生まれも育ちも違う。その人にはその人にしかわからないものがある。
それを他者が否定することはできないし、逆に簡単にわかると言ってもいけない気がする。


わかってほしいと思う一方で、簡単に「わかる」「それ、わたしも同じ」と言ってほしくなくて、なかなか難しい。
その人にしかわからないものがあるということ。
それがわかっていると、無粋なコミュニケーション(デリカシーのないコミュニケーション)は減るだろうし、やたらと衝突することも減るんじゃないだろうか。


というわけで、長くなってしまったので今日はこのへんで。


ストックがある場合は、PM9時に更新ということにしてます。
ストックがなかったら、更新されませんのであしからず。


生きることの不安から忙しくしているのかもしれない

はてなブログ」はキーワードにリンクを自動的にしてくれるところが気に入っている。
私は「はてなダイアリー」時代からのユーザーなのだけれど、記事内のキーワードにリンクを貼ってくれる親切さが好きで「はてなダイアリー」を選んだわけで。


昨日書いた↓
komoko.hatenablog.com
この燃え尽き症候群のリンク先の「症状」の箇条書きを目にして、あらためて首肯する(うなづく)ところが多くて、我ながら怖くなった。


生きるのはいろいろと大変で、不安になることも多くて、うんざりすることも多くて、でも生きているからそんなものか……と思う自分がいる。
とにかく仕事をして忙しくして、実績を残して、そうすることで「必要とされる存在」として認知されたくて、もっともっとと大量の砂を運ぶ……それが今の私だなぁと。


ふと「この大量の砂を運ぶことに意味はあるんだろうか」と思うことがある。「こんなに大量に砂を運んで、でも結局、何も残らないんじゃないだろうか」


砂に埋もれて、動けなくなる。
そんな自分を想像するのも怖くて、少なくとも今はそうじゃない。まだ動ける。「燃え尽き症候群かもしれない」と思っているだけで、燃え尽きたわけじゃない。夢見は相変わらず悪いけど、眠れているし、食事もとれている。(さすがにあんまりな食事内容が続いたので、野菜も肉もできるだけ食べるようにした)


漫画やアニメや映画、ドラマなどを楽しむには、ある程度の余裕が必要だ。心身的な余裕もだし、時間的な余裕も必要だ。(金銭的な余裕も)
余裕がないときに見ても楽しめないのは当然かもしれない。


つまり、今「余裕がないのだ」。締切あけの疲労がまだまだ残っている。過労、加齢で回復に時間がかかっているのだと思う。


では、どうして、そこまでギリギリに追い詰められるほどの仕事を引き受けたのか。


実績を作りたかった。忙しくしていたかった。必要とされていたかった。
ということなのだと思う。


裏返せば、「実績もなく、忙しくもなく(仕事もなく)、必要とされていない自分」になると生きることすら難しくなる気がして、不安で……そもそもというか、それ以前に生きることには常に不安がつきまとっていて、空気を吸うように不安を感じている自分がいて、その不安を少しでも払拭(ふっしょく)したくて、忙しくしているのかもしれないなぁと。


長くなってしまったので、今日はこのへんで。


追伸。ストックの更新時間をPM9時に変更します。


燃え尽き症候群……かもしれない

もしかしたら、燃え尽き症候群かもしれない。
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ここで締切をクリアしたものの抜け殻のようになっていると書いたのだけれど、今もやる気が起きなくて、ヤバいなと。
やや体調がよくないというのもあるのだけれど、睡眠はとれているし、かかえている仕事はあるけれど、締切が差し迫っているわけではない。


ちょっとのんびり漫画を読んだり、アニメを見たり、ドラマを見たり……と思っていたのだれど、それらをしてみても頭に入ってこない。頭に入ってこなくて、ざるで水を汲んでいる気分になる。


これなら寝ているほうがましかな、と思ったりする。


寝るのはいいのだけれど、寝ると夢を見るので疲れる。
その夢は80%以上仕事に関係する夢だ。
夢の中でも仕事をしている。
しかもだいたい仕事でトラブっていることが多くて(夢の中でも!)
ゆえに寝ているのに疲れる。


良い夢というのを見たことがほとんどない。
目が覚めて「なんかいい夢見た」みたいなことを切に希望する。


トラブった夢や悪夢を見ても「ああ、夢でよかった……」と思うしかない。


燃え尽きているので、食に対してもどうでもよくなっていて、それもよくないと思っている。
最近寒すぎるのも、よくないと思う。


まだこうして何か書いておこうと思ううちは大丈夫かなと思ったり。
まぁ無理はしないで、ゆるゆると、やる気がでるのを待とうかと。


英語を聴きとれるようになりたい

以前はドラマや映画をよく見ていたので、それなりに英語を耳にしていたのだけれど、仕事が忙しいこともあって、最近はほとんど見ていない。


ふと早めの英語を耳にすることがあって、呆然とした。


き、聴きとれない。


な、何を言っているのかわからない。


単語はところどころわかっても、どういうことなのかわからない。
文が肯定なのか否定なのかさえわからず、頭の中は????!


私の場合、元々「文字に頼るタイプ」ではあるのだけれど、それにしてもこんなに音声のみの英語がわからなくなるなんて、ちょっとショックだ。
TOEICのリスニング問題とかやってみたら、きっとひどいことになるだろう。


というわけで、仕事は仕事で忙しいのだけれど、時間を見つけて、少しずつでも英語を聴くことにした。


聴かないとどんどん聴きとれなくなっていくような気がする。


映画やドラマ以外でも英語のリスニングでよさそうなものをこれから探してみたい。



締切を守るために大事なこと(3つ)書いてみる

とある締切をクリアして、ホッとしているというか、抜け殻のようになっている。
具体的にどういうものの締切かは書けないのだけれど、一般的な締切でも応用できるようにやや抽象的に書いてみる。

締切を守るために大事なこと(3つ)

1.前倒しで進めること

前倒しこれが一番大事だと思う。

当たり前だけれど、締切は守らなければならない。
締切を過ぎて「すみません、できていません」「まだ完成していません」では済まないのが仕事の世界で、ものすごいプレッシャーとストレス、なにより作業が膨大で、本当に終わるのか焦る日々が続いた。


予定を立てた時点で早めに仕上がるようにスケジュールを組んだ。どれくらい早めかは種類にもよるので、ケースバイケースだけれど、今回、私は3日前には完成して、何度もチェック(誤字、脱字や翻訳のチェック)した。プレゼンだったら練習といったところだろうか。

2.資料準備は万全に

前倒しで進めるのも大事だれど、今回、資料が必要なものだっただめ、これでもかというくらい資料を事前に集めた。


資料を準備し、書籍など紙のものであったら、とにかく付箋をはり、どの資料の何ページにどういうことが書いてあったか、別紙にメモした。


もっとも、資料探しが一番時間がかかるし、資料を読む労力も半端ない(ものすごく大変)
必要な資料が見つからなかったり、あるいは資料を読み始めて「????!」となることは本当に多い。


資料を読みこむ時間も多めにスケジュールに加えておいたほうがよいと思う。

3.日付をつけて保存。バックアップは2つ以上とる。

当たり前だけれど、バックアップは逐次とらなければならない。
今回長丁場になることがわかっていたので、テーマごと日付ごとにバックアップをとった。
日付を見れば、ここまでできたというのがすぐわかるし、スケジュール通りに進んでいるか、進んでいないかもわかる。
また、バックアップも、もしもに備え2つ以上とるようにした。


実際、本物のほうがエラーで開かない(見れない)というトラブルが起きて、結局バックアップで対応した。


以上、3つ大事だと思うことを汎用可能なようにやや抽象的に書いてみた。
モチベーションも大事だけれど、なにより時間との戦いだなぁと今回思ったわけで。
時間がないと、それだけでやる気をなくしてしまう。
あとは、スケジュールを立てるのにもセンスは必要だなぁと思ったわけで、どうやってゴールまでたどりつくかイメージングするのも大事かもしれない。

長くなってしまったのでこのへんで。