生きることの不安から忙しくしているのかもしれない

はてなブログ」はキーワードにリンクを自動的にしてくれるところが気に入っている。
私は「はてなダイアリー」時代からのユーザーなのだけれど、記事内のキーワードにリンクを貼ってくれる親切さが好きで「はてなダイアリー」を選んだわけで。


昨日書いた↓
komoko.hatenablog.com
この燃え尽き症候群のリンク先の「症状」の箇条書きを目にして、あらためて首肯する(うなづく)ところが多くて、我ながら怖くなった。


生きるのはいろいろと大変で、不安になることも多くて、うんざりすることも多くて、でも生きているからそんなものか……と思う自分がいる。
とにかく仕事をして忙しくして、実績を残して、そうすることで「必要とされる存在」として認知されたくて、もっともっとと大量の砂を運ぶ……それが今の私だなぁと。


ふと「この大量の砂を運ぶことに意味はあるんだろうか」と思うことがある。「こんなに大量に砂を運んで、でも結局、何も残らないんじゃないだろうか」


砂に埋もれて、動けなくなる。
そんな自分を想像するのも怖くて、少なくとも今はそうじゃない。まだ動ける。「燃え尽き症候群かもしれない」と思っているだけで、燃え尽きたわけじゃない。夢見は相変わらず悪いけど、眠れているし、食事もとれている。(さすがにあんまりな食事内容が続いたので、野菜も肉もできるだけ食べるようにした)


漫画やアニメや映画、ドラマなどを楽しむには、ある程度の余裕が必要だ。心身的な余裕もだし、時間的な余裕も必要だ。(金銭的な余裕も)
余裕がないときに見ても楽しめないのは当然かもしれない。


つまり、今「余裕がないのだ」。締切あけの疲労がまだまだ残っている。過労、加齢で回復に時間がかかっているのだと思う。


では、どうして、そこまでギリギリに追い詰められるほどの仕事を引き受けたのか。


実績を作りたかった。忙しくしていたかった。必要とされていたかった。
ということなのだと思う。


裏返せば、「実績もなく、忙しくもなく(仕事もなく)、必要とされていない自分」になると生きることすら難しくなる気がして、不安で……そもそもというか、それ以前に生きることには常に不安がつきまとっていて、空気を吸うように不安を感じている自分がいて、その不安を少しでも払拭(ふっしょく)したくて、忙しくしているのかもしれないなぁと。


長くなってしまったので、今日はこのへんで。


追伸。ストックの更新時間をPM9時に変更します。