饒舌と寡黙について考えたこと

この『ネットでは饒舌。リアルでは寡黙な人。』を書いてから、饒舌だからいいとか寡黙だから悪いとかそういうのはないのだということをちゃんと書いておいたほうがいいかなと思いました。どちらも一長一短あると思います。一概にどちらがいいというのは言えないんじゃないかなって思います。


そうですね、饒舌な人はやはり目立つし、口が巧い人というのは確かにいます。ネットでも巧みな表現を駆使して、人をひきつける文章を書く人はいらっしゃいます。でもそれがいいとか悪いとかそういうのはないのですよね。人それぞれ考え方、価値観ちがいますし、うまいこと書いているけれど、実際本当のところはわからないよね、ということもあります。逆に、素朴だけど、でもその方が好感が持てるという場合もありますね。ええ、わたしはかなりの数のブログを毎日拝見していますが、素直な文章っていいなと思います。ブログの中にはかっこつけたというかちょっと小難しい表現をしている文章を見かけますが、うーん、まぁそれはそれでいいのかな。そういう小難しい表現をしたくてそのブロガーは書いているのかな、と。まぁそれはそれでいいのですけれど。



リアルでもそうですが、ネット上でも目立つ人というのはやはりいるわけで、人をひきつけるというのかな、注目される人います。注目される人は、そうですね、賞賛されることも多いけれど、一方で叩かれることもある。「出る杭は打たれる」みたいな。饒舌ゆえに失敗するということもあるかもしれません。でも、まぁ失敗しても気にしないという人もいますし、深く考えて言葉にしていないという人もいます。気がついたら口から出ていた、というように。思ったことは口にして言ってしまうというタイプの人いらっしゃいます。まぁ、それがいいかどうかは、人それぞれ判断ちがうと思うわけで、そうですね、逆に、無口で寡黙な人って何考えているのかわからない、それが不気味だと言う人もいますし、まぁいろいろですよね。



そうですね、打たれるようになったら、なんだかんだ言われるようになったらそれだけ多くの人に注目されているのだなぁと思います。まぁ誰にも関心を持たれないというよりはいいと言う人もいます。ある程度の人数が注目したら、かならずアンチは出てくる、DQNは出てくるよね、ということを今年参加したオフ会で聞きましたが、確かにそうかもしれません。



雉も鳴かずば撃たれまい」ということわざもあるなぁと思ったり。
あるいは「沈黙は金。雄弁は銀」というのもありますね。
まぁ、言いたいことは表現しないと伝わらないというのもありますし、コミュニケーションする場合は、ある程度「自己表現」してもらわないと、コミュニケーションのしようがないというのもあったりします。ええ、だんまりを続けられると、コミュニケーションはとれないですよね。女性の場合、聞いてもらえればそれでいいというのはありますが、やはり反応はある程度ほしいわけで、聞いているのか聞いていないのかわからないという状況は、女性を苛立たせるものだったりします。寡黙もほどほどがいいのかな。



そうですね、ネットとリアルではギャップがあったりするものですし、ネットでは饒舌だけど、実際会ってみたらそうでもなかった、ということもあります。んー、まぁそれはそれでいいのですよね。口下手でもいいんじゃないかなって思います。口先だけよりはいいんじゃないかな。


というわけで、つらつらと考えたことを書いてみました。
それでは。