失敗もトラブルもまったくない人生なんてない。

まぁ、ごく普通に(?)波風立てずに、極々穏やかに生活していても、自分の力だけではどうしようもないことや全くの想定外のことが流れ星に遭遇するレベルで起きたりで、「まったく、もう、なんなの?」と、ため息のひとつやふたつ出てしまうこともあったりするのが人生。「そんなものですよ」と思っていたほうが楽でいいかもしれない、と思ったり。

なんでも思い通りに運ぶというのは、まずなくて、まったくないとは言い切れないけれど、そう滅多にない、と思っている方が現実的でいいのかもしれない。楽観視しすぎるのもよくなくて、意外なところでこけたり、すっころんだり、足元あしまわりには充分気をつけたいな、と。失敗するのには原因があって、それはトラブルも同じで、原因はやはりはっきりさせておかないと、また失敗トラブルを繰り返すことになってしまう。原因がわかったなら、それを繰り返さないこと。同じ間違いをしないこと。失敗してみないとわからないことも多くて、それはそれで悔しくて勉強にもなる。「次は気をつけよう!」と肝に命じて、ふんどしをしめるしか・・・(いや、ふんどししめたことないけど)

自嘲的な意味はないけれど、

失敗もトラブルもまったくない人生なんてない

そんな風に思う。
失敗やトラブルに疲労困憊して、でもこれをどうにか乗り越えたら、それ相当の経験値は増えるな、とむしろプラスに考えたい。雨が降って地かたまるということもあるし。逆に失敗やトラブルで人と人が離れていく結果になってしまったら、悲しいけれどそういう運命、それだけのつながりだったのだと思うしか・・・・・・。反対に、不思議と縁のある人は喧嘩したりなんだかんだあっても、その縁はなかなか切れない。いわゆる腐れ縁というやつかもしれない。「しがらみ」とかそういう表現をすると、ちょっとネガティブなニュアンスがでてきてしまうけれど、無人島でもなんでもない一般社会で生活をしていたら、なんらかのしがらみはつきもので、まったくそういうものがないというのも、それはそれで寂しいかな、と。まったく自分に絡む人がいないということで。しがらみもそうだけれど、多少のことは大目に見れたり片目を瞑れたり、それが大人の余裕というものなのかもと思ったり。まぁそういう余裕が出てくるのもある程度年をとってからだなぁと思ったり。

とまぁ、ここまで書いてきて、自分は何を言いたいのか忘れていることに気がついた。今日はブログに何を書こうとしていたんだったっけ?

ああ、そうか。

失敗もトラブルもまったくない人生なんてない

ということ。
多少の失敗、トラブルは起きてしまうもの。起きないよう気をつけたり努力したり、それは勿論大事。
でも、もう起きてしまったら、あとは対応するしかない。ふんどしをしめてかかるしか。

「褌(ふんどし)を締めてかかる」とは

「決心を固くし、気持ちを引き締めて事に当たる。」

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/197656/m0u/

大事なのはそこだと思う。
自分に言い聞かせる意味でも書いておこうと思う。
人の話をもっとよく聞くようにしよう、なにもかも自分で抱えこまないようにしよう、相談は大事だね。ホントに。ひとりよがりはよくないよ、と。これも自分に言って聞かせたい。