自己嫌悪と再構築、あるいは改善

オンラインやメールでのやりとりが雨後の筍(たけのこ)のごとく増えすぎて苦痛だ。
筍だったら、食べられるからよいけど、オンラインやメールは煮ても焼いても食べらない。(何を言っているんだ?)


画面上でのことばのやりとりは、やはり齟齬が生まれる。コミュニケーションのギャップに頭を抱える。
発信する(表現する)側として、正確に書いて伝えているつもりでも、相手に伝わらない。想定外の解釈付で返信されたり対応されたり、雨後の筍化しているせいで、お互いやりとりが雑になっているケースもある。


そんなこんなで、自己嫌悪することがいくつもあった。明らかに私が悪くて、でもその時の自分は自分では悪いと思っていなかったのだから、なんとも呆れてしまう。


自分の悪いところを自分ではどうしようもないと諦めてしまうのが、これまた嫌だったりする。
嫌なので、とにかくどうにかしようと悪戦苦闘するパターンが脳内でグルグル再生されて、うんざりしてしまう。
頑張れば少しは良くなるんじゃないかと、努力を自分に強いる傾向があって、その傾向も疲れているときは毒になる。他者に努力を強いるのも毒だ。


それならば、努力を強いるのではなく、再構築する、その方向がよいのではないだろうか。
もう一度、作り直す。もう一度、やってみる。それくらいの気持ちでいいのではないかと。
一からキレイに作り直さなくていい。今持っている手札でできることをやってみようかと。


再構築、あるいは改善。前よりも少しでも良くなれば、それでOKではないだろうか。


悪いところに気づいたそれだけでも十分な前進だ。


というわけで、今日はこのへんで。