褒められるということ

大人になると、そうそう面と向かって褒められることは少ないように思う。
今必要に迫られてオンラインで英語を勉強しているのだけれど、
ある英語の先生はものすごく褒めてくれる(勿論英語で)。


例えば「r」と「l」の発音がうまくできなくて、
何度も言い直しをさせられて、
でもそのうち1回くらいうまく発音できたとき、
その英語の先生は大げさに褒めてくれる。


ああ、こう発音すればいいのか!
その感覚がわかったとき、
ちょっとステップアップした気持ちになる。


スピードが速くて聞き取れなかったものが聞き取れるようになったり、
ちょっとは英語らしい発音ができるようになったり、
ひとつひとつ積み重ねていくのが楽しくて仕方がない。


少しずつできるようになっていく。
それを誰か(例えば先生)が見て(聞いて)褒めてくれる。
承認欲求を満たされた状態の心地よさはこういうところにあるのかもしれない。


ものすごいことをやり遂げて認めてもらおうとすると、それはもう大変な作業になる。
別にものすごいことじゃなくても、
以前はできなかったことができるようになった、それだけでも十分褒めるに足ることだと思う。


褒められるのは嬉しい。
もっと褒められたいと思うと同時に私も誰かを褒めたいと思う。勿論自分で自分を褒めるのも良きと思う。


今日も一日なんとか生きた。
それは褒められることだと思う。


2月はブログを更新できなかったけど、
3月は更新できた!よし!←褒めポイント


といっても、もう3月31日だったりするのだけれど。