具体的に誰が羨ましいというわけではないのだけれど、ふいに起こる羨ましいという感情をどうにかしたい件

まぁタイトルで言いたいことは書いてしまったのだけれど、
具体的に誰が羨ましいというわけではないのだけれど、
ふいに、ふと起こる羨ましいという感情を感じるたび、
どうにも自分がひどくつまらない人間に思えてしまって、
暗い気分になる。


羨ましいというのは、
やはり自分があきらめたものとか、自分にないものを持っている人全体に対してそう思うわけで、
簡単に言えば、ないものねだりをしているのだろうな、と。


だから、逆に「発奮して頑張る」的な方向に向かうのも、もちろん「有り」なのだけれど、
発奮して頑張ったところで、さまざまな状況下、手に入れられないものもあるわけで、
落胆というか、あきらめの無理強い(むりじい)というか、
なかなか「あきらめ上手」にはなれないものだと
溜息が出てしまう。


仮に、自分が欲しかったものを手に入れたとして、
「何か人生大きく変わるか?」と問えば、
「うーん、あんまり変わらないかも」と思ったり。


今これを書きながら「発奮して頑張る」ほどのことじゃなくていいから、
なにか目標を設定して、マイペースに頑張るほうが、
前を向いていられて、精神的に安定するかも、と思い始めている。


ないものにこだわり続けてしまうから、つらくなるわけで、
それなら、「ないものへのこだわり」は、とりあえずベランダにでも置いておいて、
なにかやってみたいことをしてみたほうがいいのではないかと。
私の場合、なにか目標を立てたほうが、コツコツと続けやすい。


羨ましいという感情が、嫉妬にグレードアップ(?)するとダークさが増すので、
それは避けたい。
新年になったことだし、昨日の抱負とは別に、何かコツコツやれることを見つけようと思う。



2021年の抱負

2021年になりました。ということで、今年の抱負を書いて残しておこうかと。


昨年、病院通いするくらい体調を崩したので、
今年は「体調にとことん気をつける」
これを抱負にしようかと。
1.ストレスをためない(ストレス解消する)
2.睡眠時間の確保(夜12時までに寝る)
3.ウォーキングとスクワットを続ける
4.食事に気をつける(野菜を食べる。食事を抜かない)
5.無理をしない(やるべきことは早めにしておく)


この中の1と5はなかなか難しい気がするのだけれど、
とりあえず抱負なので、書いておくだけ書いておこう。


あとは、去年よりブログを更新できたらいいなと。



2020年を主観で、ふりかえってみる。

2020年年末!
しかしながら、全然年末な感じがしない。
でもまぁ今年が終わって、新しい年が来るのは私にも誰にも止められなくて(あたりまえだ)、
とにかく「今年が終わる」という事実は、正直ホッとする。
「気持ち的に区切りをつける手段としての新年」welcomeだ。


新しいと言えば、例のコロナの影響で、
今年新しい分野に手を広げざるをえなくなって、
本当に大変だった。


「新しいことなんて無理かも」そういう不安を抱く余裕もなかった。
周回する流れるプールを泳いでたら、いきなり急流になって、
まわりが何にも見えなくなって、
いつのまにか滝から垂直に滝つぼに叩き落された感じ。
ずぶぬれで、満身創痍(まんしん・そうい)。
それから、どうにか岸までたどり着き、
トライアスロンみたいに自転車で走り抜け、長距離を走って、やっと年末。
本当に今年は長かった。ふりかえると、よくまぁ走ったなぁ。
走りながらボロボロになって、途中で病院通いもした。人生初MRIも撮った。


今年は、いろいろなことがありすぎて、
もう思い出すと目に汗が止まらなくなるから、
正直いって思い出したくない。
とはいえ、思い出したくない記憶は「deleteキーを押せば消える」わけでもないので、
なんとかうまくつきあっていくしかないんだろう。


皆自分の主観で物を見てる。
皆自分の主観で話をしてる。
その人が「そう」言うのなら、その人にとって「そう」なんだろう。
そんなことを思うようになった。
私の主観は私の主観で、
私の見方、私の考え方は、
本当にいろいろなものから影響されまくっているのだけれど、
でもまぁ「なんの影響も受けずに形成される主観」と言うのもないと思うので、
自分が受けてきた影響について、どうこう言うのはやめておこうと思う。
逆に私が周囲に与える影響のほうが、怖かったりする。
願わくば、良い影響を与えたいのだけれど。


影響と言えば、今年は米津玄師さんばかり聞いていた。
彼の曲、詞に影響を受けた。ここで熱く語ったりはしないけれど、
私の場合、有名な『Lemon』でハマったのではなく、過去のアルバム曲からハマったので、
そのハマり方が私らしいといえば私らしくて好きだ。


あとは、読んでよかった本。


自分の主観や考え方のせいで疲れることも多いけれど、
でも、そう考える自分を変えられるのも自分だと思うので、
なんとかこの自分とうまくやっていくしかない。
折り合いをつけるというか、
コントロールするというか、まぁそういう感じ。
まぁ、来年はできるだけストレスはためないように、
ちゃんと食べて寝るようにしよう。
来年は、落ち着いた年になるといいな。



〜たら、どうする?何したい?の答えにハッとさせられた話

とある人と他愛もない雑談をしていて、
「〜たら、どうする?」
「〜たら、なにしたい?」と言う話の流れになった。


「コロナが終わったら、何したい」
という問いかけに、
「旅行したい」とか「帰省したい」と言うかな、と思っていたら、
その人は
「終わってからでないと、わからない」と。


ああ!確かに!


「まだ、コロナは終わってないし、自分には今やらないといけないことがあるから、今はそのやらないといけないことをやって結果を出したい」と。


ああ!


結果を出したいというのは、具体的にはここでは書けないのだけれど、
情熱や意気込みを感じるとともに、そういうものがあるのを羨ましくも思った。
コロナ禍であっても、きちんと自分がやるべきことをやっている人なのだと思った。


わたしもやるべきことをやって、いろいろと先延ばしするのをやめるようにしたい。先のことをいろいろ考えてしまうけれど、実際どうなるかは、わからない。考えて考えて、考えあぐねて、結局憂鬱になるだけだったりする。それよりは、ちょっと考えるのをやめて、何かした方がいい。気分があがるような音楽を聞いたり、読みたい本を読んだり。情熱や意気込みというものが、自分にとって遥か昔のものになっていて、いやでも、もしかしたら、何か情熱を持てるようなものが見つかりそうな気も最近少しあって、それを探すのもいいかも、と思い始めている。



ほんわかと光るものがどこかに

11月も今日で終わりということで、今思っていることをブログに書いてみることにした。


今月も忙しくて、メトロノーム テンポ120で駆け抜けたような気がする。


仕事をはじめ、いろいろと思ったとおりにいかないことが本当に多くて、
最近では「あきらめの境地」に近づきつつあるのだけれど、
この「あきらめの境地」に近づきつつも、
まだ「やりたいこと」「やってみたいこと」があるので、
とりあえず、やれそうなことからやってみようと思っている。
これは良い意味で「あきらめが悪い」ということではないだろうか。


苦しい状況にあるのは、自分だけではない。
こういう状況であっても、まだやれることはあって、やりたいことがある。
まぁ、そのやりたいことはできないままなのだけれど、
まぁこれからやればいいか、これからやる楽しみがある、と思うようにしている。


「やりたいことがある」というのは、「一種の希望」みたいなもので、
希望といっても、ほんわかと光るものがどこかにあれば、それでいいと思う。



落胆するような出来事に振り回されないということ

10月も今日で終わりということで、なんとなく書き残してみる。
今月の最終週は落胆するような出来事に悔し涙にくれた週になったのだけれど、
「自分ではどうしようもなかった」「やれるだけのことはやった」と自分をなんとか納得させて、精神を保たせている。


冷静に今回の落胆するような出来事について考えたところで、
10年後もまだ引きずっているかといえば、
引きずっていないだろう。

落胆するような出来事も「初めて」だから、余計につらく感じてしまっているだけで、
またそんな出来事に何度も遭遇するうちに「慣れて」それほどつらさを感じなくなるのではないだろうか。


要は、「初めて」だからダメージが大きかったということ。
これからも落乱するような、がっかりするような出来事は起きるだろうし、
そのたびに落ちこんで、他の事ができなくなるのは、
わたしの主義ではないな、と。


どこかでも書いたけれど、淡々とペースを保って仕事をするのが好きなので、
落胆するような出来事に振り回されるのは本意ではない。


悔し涙は、結局のところ、自分の思うとおりにいかなかった涙で、
「自分の思うとおりにしたい」という傲慢さが自分の根底にあって、
「まぁ、そう思うとおりにいかないもんだよ、世の中は」という「お告げ」なのかもしれない。


落胆したのは、期待してたから。
期待していたとおりにはならないものだと、思い知らされた今回の出来事。
涙を流すのは、人間らしいなといえば人間らしいか。




ストレスの解消のしかたがわからない

ストレスが溜まっているというのは、自分でもわかっている。
先日、体調不良で、病院についに駆けこんだ。
駆けこんだ病院で、自分と同じような症状の患者さんの多さに驚くとともに、病院での待ち時間の長さ、検査の時間の長さに疲れてしまって、余計に具合が悪くなる始末だった。


話は変わるが、
金曜の夜だけが、「解放された一瞬」だ。この解放された感じを表現するのは、難しい。
とにかく、平日が終わる。なんとか平日が終わる。やった!乗り越えた!的な感慨もあるのだけれど、
でも諸手を挙げて解放感にひたるわけにはいかなくて、
やはり仕事のことが、その他諸々のことが、いつも頭にあって、繰り返し反芻してしまって、
これがストレスなわけで。


では、どうしたら、そのストレスを解消できるのか。
好きなことをすればいい?
でも、その好きなことが思うようにできなくて、
また好きなことをしようとしても以前のように楽しめなくて、
ぶっちゃけ、なにもしたくない
寝ていたい
そう思う。
そう思うのは、疲れているからだろう。


疲れているのだから、なにもしたくない。
なにもしなくていい。
そうできれば、どんなにいいことだろう。



ストレスの雪玉は転がり、大きくなっていく。
真白ではない、ぐちゃぐちゃなゴミだらけの灰色の玉だ。

この灰色の玉のことを考えれば考えるほど、勝手に育っていくから、やっかいだ。
灰色の玉が異常なほど大きなものに育っていく。


さて
どうしたものか。


ストレスの解消のしかたがわからない。
ストレスの解消のしかたは人それぞれあるのだろうけれど、
自分に合うストレスの解消法が見つからないでいる。


とりあえずは、
つとめて寝るようにする、くらいしか。