余力、あそびを残すということ

いやはや、気づくと2月最終日。
月に2~3回は更新したいとか思ってたのだけれど、
実際は仕事ばかりしていて、ブログは放置状態に。


とりあえず、まだ2月だし、書きたいこともあったし、書いてみようかと。


で、タイトル。『余力、あそびを残すということ』
「余力、あそびは大事だ」と思ったので書いてみる。
車のハンドルに「あそび」の部分があるように、あそびは必要。


ここ数年、仕事を引き受けすぎて、パンパンになって、
プレッシャーとかストレスで倒れそうになって、
それは今年は全力で回避したいなと。


いや、そもそも、この「全力」というのがよくないと気づいたわけで、
がんばるのもいいけど、余力を残すようにしないと!
結局は「自分で自分の首をしめることになるんだよ」と
自分に言い聞かせてる。


「考え方を変える」というか、「考え方(やり方)を変えないといけない」と気づいたのは大きな失敗をしたから。
今でも思い出せば頭を掻きむしりたくなるような大きな失敗をした。


大きな失敗をしてから、考え方(やり方)を変えたって、もう遅いと言えば遅いのだけれど、
それでも、失敗を繰り返さないためにも、考え方を変えなきゃいけないんだと思う。


そして、考え方(やり方)を変えたからって、うまくいくとは限らないというのも
自分に言い聞かせている。
なぜなら、考え方(やり方)を変えたら、きっとうまくいくだろうと、期待しがちだから。


期待はしない。
うまくいくかもしれないし、うまくいかないかもしれない。
うまくいくかどうかは、やってみないとわからない。


とにかくやってみるしか。
自分の手持ちのカード(スキル)が少ないことを自覚して、
手持ちのカード(スキル)を地道に増やし、強くしていくしかない。


仕事に集中するのもよいけれど、
自分のメンテもしよう。
そのために余力は残しておこうと。
余力がないと、ホント、なにもできないね。


余力を残すという発想がなかったここ数年。
あそびという概念もなかったかもしれない。


というわけで(どういうわけで?)いま絶賛リピートしているのがこちら。

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昨年までだったら、「余力を残す気はなかった」けれど、今年は「余力を残す」方向で。

2022年2月末現在18巻まで出ていますが、おもしろいです。



自分の価値観を否定されて、どう思ったか。

最近、自分の価値観を真っ向から否定されることがあった。
いやはや、びっくりというか、ムッとなってしまった。
そんなに強い主張をしたつもりはないけれど、「私だったら~」と言うフレーズから始まるのは、十分主張になるのだな、とあとから気づいて自分に対して嗤(わら)ってしまった。


価値観を否定され、対立関係が生じてしまい、ここで「いつもの私」がpause(一時停止)ボタンを押した。そして退却。


対立関係は苦手だ。対立の舞台ができてしまった時点で、対立から衝突に至るのが嫌で、対立から去るのが「いつもの私」だ。


誰かに自分の価値観を否定されるのは面白いことではない。
でも反論というか、自分の価値観を押し付けようという気はさらさらなくて、仮に自分の価値観をゴリ押ししたところで、よい結果になるとは限らないと思ってしまう。
「これが自分の価値観なんだよね」「今更変えられない」などと頑固、融通が利かないそういう自分になりたくなかったのだと思う。


自分の価値観を否定する価値観もあるんだと思うと、そんなにびっくりすることもムッとなることもなかったわけで、
やっぱり自分の価値観を絶対視していたんだなと、あとになって思うわけで。


価値観や考え方がぶつかって、それですぐに去る(退却)するのも、本当はよくないのかもしれない。
でも、やっぱりあの場面で自分の価値観をゴリ押しするのはどうかと今でも思うし、相手の価値観もよくよく考えたらわからないこともない。
私も自分の価値観をわかってくれると思っていたのかもしれない。
が、実際にはわかってもらえず、悔しかったのかもしれない。

「話せばわかる」というのはよく聞くフレーズだけれど、話して「価値観をわかってくれる」と「支持してくれる」というのは必ずしも=(イコール)ではない。つまり、その人の価値観はわかるけれども支持はしないということは往々にしてあるものだと、まぁそういうことだ。わかってくれると期待しないほうがいいということかもしれない。


さて、長くなってきたので、そろそろまとめ。
自分の価値観を否定されてどう思ったか。価値観を否定されて、結局のところ、それでも自分の価値観は変わらないと思ったのと、でも融通を利かせるのは大事だなと。否定される経験をしたことで否定される耐性がちょっとはついたかと思うとまぁ悪くはなかったかと。



2022年の抱負

2022年になった。
朝見た月は、低く赤くか細く今にも消え入りそうだった。そんな月を見れたのはラッキーだったのかも。


元日の朝はとりわけ静かだ。


2022年は
無理をしない。
落ち着いた毎日を過ごす。
とにかく睡眠を取るようにする。
これを抱負にしよう。


そもそも抱負とはなんぞや?と思ったので調べてみたら、
抱負とは「心の中に持っている計画・決意」のことらしい。ふむふむ。
心の中に持っている計画・決意だから、その人の自由でいいわけだ。
自由だから、壮大な(?)抱負じゃなくても全然OKと考えたら気が楽になる。


それに抱負は「心の中で持っている計画・決意」だから、わざわざブログに書かなくてもいいのかなとも思うけれど、
とりあえず書き残しておくのはいいことだ。とにかく書いておかないとすぐに忘れてしまうから。
忘れてもいいように、忘れたらいつでも読みかえせるように残しておくくらいの気持ちで、ちょうどいい。


落ち着いた穏やかな一年になりますように。



2021年をふりかえって

久しぶりすぎる更新。
どうやら100日以上更新していなかったようだ。
年末。
晦日
一体いつの間に。


さて、2021年最後に更新しておこう。
2021年をふりかえってみようかと。


と、ここまでキーを打って、ふりかえるもなにも、仕事しかしていなかったことに気づく。
映画を見に行くこともなく、旅行に行くこともなく、外食もまったくといっていいほどしていない。
コロナ禍だったから、といえばそれまでなのだけれど。


仕事は、我ながらかなり無理をしたと思う。
吐き気に襲われるほどの頭痛は初めてだった。
頭痛は疲労や寝不足、ストレス、プレッシャーが原因のようで、
体が悲鳴をあげていたのだと思う。
思わぬケガで通院もした。いまも痛めた個所が痛い。


最近はとにかく睡眠をとるようにしているけれど、
ストレスやプレッシャーはなくならない。
仕事は楽ではない。
楽ではないけれど、仕事をしないわけにはいかない。
食べることと寝ることと仕事、その繰り返しが2021年で、
こんなに本も読まなかった年もないのではないだろうか。


本を読む余裕が脳になくて、
とりあえず音楽は気分高揚のためによく聞いたかもしれない。


さて、2021年をふりかえったところで、2022年はどうしよう。
とにかく無理はしないようにしよう。
2022年は落ち着いた日々を過ごしたい。



真綿宇宙服状態からの脱出

頭は使っていないとどんどん衰えていく。
毎日同じようなことの繰り返しで、新しい刺激がなかったりで、真綿の宇宙服に全身を包まれているようなそんな感覚を覚えることがここのところ(2020年頃から)多かった。まぁ、コロナ禍で外出がままならなかったり、人と直接会うのも減ったりで、仕方がないといえば、仕方がない。


そういう状態(真綿宇宙服状態)は、正直言って窮屈で、つらさすらある。まだまだ外出がままならないにせよ、どんどん新しいことを学んだり、何かについて深く考えたりしようと思った。(最近は語学に加えて、世界史も勉強している)


そして、大事なのは記録だ。メモすることだ。
様々なものを見て、聞いて、気づいたことがあっても、それを記録しないとすぐに忘れてしまう。
記録しておけば、後から見返して思い出すことができる。
もっと様々なことを記録しておこうと、新年の抱負のごとく、今思っている。


記録する作業をめんどくさいと思うのは、生まれつきの性格的なものかもしれないし、単純に疲れているせいかもしれない。
でも、疲れているからめんどくさいからと言うことで一切記録しないのは、大事なことをドブに捨てているようなものかもしれない、そう思うようになった。


注意力と記憶力。この2つの力についてこれから特に力を入れていきたいと思っている。
注意力は、訓練しないとなかなか向上しないものだ。意識的に物事を観察する。観察して「気づく」、これは大事なことだと思う。
記憶力も同様に訓練しないとなかなか向上しない類のものだが、記憶力については記録するメモすると言うことで補うことができるのではないだろうか。気づいたことはどんどんメモしておきたい。


真綿宇宙服状態からの脱出。
時間を有効に使っていきたい。



自己嫌悪と再構築、あるいは改善

オンラインやメールでのやりとりが雨後の筍(たけのこ)のごとく増えすぎて苦痛だ。
筍だったら、食べられるからよいけど、オンラインやメールは煮ても焼いても食べらない。(何を言っているんだ?)


画面上でのことばのやりとりは、やはり齟齬が生まれる。コミュニケーションのギャップに頭を抱える。
発信する(表現する)側として、正確に書いて伝えているつもりでも、相手に伝わらない。想定外の解釈付で返信されたり対応されたり、雨後の筍化しているせいで、お互いやりとりが雑になっているケースもある。


そんなこんなで、自己嫌悪することがいくつもあった。明らかに私が悪くて、でもその時の自分は自分では悪いと思っていなかったのだから、なんとも呆れてしまう。


自分の悪いところを自分ではどうしようもないと諦めてしまうのが、これまた嫌だったりする。
嫌なので、とにかくどうにかしようと悪戦苦闘するパターンが脳内でグルグル再生されて、うんざりしてしまう。
頑張れば少しは良くなるんじゃないかと、努力を自分に強いる傾向があって、その傾向も疲れているときは毒になる。他者に努力を強いるのも毒だ。


それならば、努力を強いるのではなく、再構築する、その方向がよいのではないだろうか。
もう一度、作り直す。もう一度、やってみる。それくらいの気持ちでいいのではないかと。
一からキレイに作り直さなくていい。今持っている手札でできることをやってみようかと。


再構築、あるいは改善。前よりも少しでも良くなれば、それでOKではないだろうか。


悪いところに気づいたそれだけでも十分な前進だ。


というわけで、今日はこのへんで。



ワクチン接種(1回目)の個人的な感想メモ

新型コロナワクチン(ファイザー社)を受けてきた。(基礎疾患は無し)
副反応は、個人差があるので、何とも言えないのだけれど、私個人の接種後の症状についてメモしておこうと思う。

接種前

肩を出しやすい服装で」ということで半袖で行った。帰りが涼しかったので、はおるものを持っていって正解だった。接種時間が遅かったりする人は、気温差を考慮したほうがよい。夕方以降や雨など天候によっては、気温が下がることも多いので、カーディガンやジップアップパーカーを持っていくとよいかも。

接種後

すぐに接種部位が痛くなった。いわゆる筋肉痛。腕が上がらない。さわられたくないくらいに痛かった。腫れたりはなかったけれど、痛みはしつこく続いた。

接種当日も入浴はOKとのことだったが、腕が痛くて、頭や体を洗う気にならなかった。接種に行く前にシャワーをしておいてよかった。

接種翌日朝

腕が痛いだけで熱は平熱。

接種翌日昼~夕方

微熱(37.4度前後)が出始める。
解熱剤等は特に飲まなかったが、体がだるく(倦怠感)、ずっと横になっていた。

接種翌々日

微熱は続いていて、今度は頭痛が、それもかなり痛くて、頭痛薬を飲む。
しかしながら、あまり効かなかったように思う。この日も横になっていることが多かった。


微熱で汗をかくので、着替えは複数枚必要。前もって着替えを何枚か準備しておいたほうがいいかも。接種後、洗濯する元気はなかった。


水分補給用に所謂(いわゆる)スポーツドリンクを買いおきしておいたので、飲んだりしたけれど、
コップ1杯(150ccくらい)飲んで以降なぜか飲む気にならず、あっさりとした麦茶のほうがおいしいと思った。
(スポーツドリンクを普段飲むことがなく、飲み慣れていないからかも?)

接種3日後

朝は微熱があったが、昼からは平熱に。腕の痛みもかなりなくなる。

ワクチン接種後の副反応は2回目のほうが強く出るらしいので、はてさてどうなることやら。

ワクチン接種後、2~3日仕事を休めるスケジュールで接種したほうがよさそう。


以上がワクチン接種(1回目)の個人的な感想メモだけれど、もう一度書くと、あくまでも個人の感想メモで、副反応は人それぞれなので、「へぇ、そうだったんだ」程度で読まれてください。


長くなってしまったので、このへんで。