『ウェブという偏り』を読んで。はてなは独特というか変わっているということとかWebにおける意見のこととか。


ちょっと改題しました。なんか長くなってしまいましたw


ウェブという偏りklimの独り言)を読んで

偏っているのはしょうがない
はてなmixi2chニコニコ動画

これらはどれもただのウェブサービスです。

でも、それらのサービスの内容に惹かれて利用者が集まるわけですから、そこに偏りが出てくるのは当然だと思います。

情報を効率よく集めたいという人ははてなに流れてくるし、身内のコミュニケーションを楽しみたい人はmixiに流れます。

偏りはしょうがないです。

だってそういうサービスなんですから。

“類は友を呼ぶ”という言葉があるように、近い属性の人たちが集まるようにできているんです、色々と。

そうなんですよね。とっても同意です。


「類は友を呼ぶ」ということで、はてなについてちょっと書いてみたいと思います。
私の感覚からすると、はてなは、というかはてなのサービスは独特で、ある意味、そのサービスに魅かれてくる人というのは偏りを帯びてきますよね。はてなは変わり者が多いというか、独特の人が多いというか。私ははてな以外でもブログサービスを利用していますが、んー、やっぱりはてなは独特です。はてな自体ブログ全体のユーザー数としてはマイナーな方に入ると思うのですよね。いつだったか私の親しい女友達数名でランチをしたとき、はてなを知っているのは一人くらいしかいなかったのですよね。数名の女友達はみなmixiは使っている。決してネットに疎いというわけではない。でも、はてな?あー見たことあるーというレベルの人が一人だけだったのですよねw あー、でもはてながマイナーだから悪いとかそういうんじゃないんですよね。マイナーだけど、でも面白いならそれでいいんじゃないかな、と。はてなユーザには変わっている人が多いなーというのは私の個人的な感想ですけれど、私は変わっている人が好きなので、全然OKです。そうですねー、利用したい人が利用すればいいんじゃないでしょうか。まぁ、はてな村はキモイとかそういうふうに思う人もいるかもしれませんけれど、でもそう思うのもその人の自由。ただ、私の場合はてなのサービスであるはてスタが好きで、はてスタはもらうのも、はてスタを押すのも好きなんですよね。はてスタブラボーだとそう思うわけでありますw ブログサービスによって偏りが生じるのは、まぁ当然のことかもしれません。はてなはブログを始めたい初心者ユーザには、ちと敷居が高い。ややこしい、よくわかんないというのはあるかもしれないですね。現に私がそうでした。はてダを始めたものの、はてな記法って何?って思いましたもんw まぁ今もよくわかってないはてな記法ですが、ブログを書くだけなら、そう問題はないですねw

偏りの質の話です。

1つは先のようなサービスによる偏り、そしてもう1つはウェブそのものの偏りです。

ソーシャルブックマークmixiもどちらもウェブ上に存在するという点では共通です。

ということは、能力や知恵、知識はあるのにウェブそのものを使いこなすことができない人の意見は自動的にシャットアウトされてしまうということです。

逆に捉えると、ソーシャルブックマークmixiを使いこなしている人はその時点で、ある程度の差はあるものの、”ウェブに親しんでいる人”というカテゴリーに収まってしまうわけです。

どちらも偏りです。

そして、ウェブを使う以上この偏りだけは避けられません。*1

このようにウェブサービスを利用する時には複数の偏りについて意識した方がいいと思います。

そして、klim0824さんは、偏りの質についても言及されてます。
これが面白いですね。
特にココ↓

能力や知恵、知識はあるのにウェブそのものを使いこなすことができない人の意見は自動的にシャットアウトされてしまうということです。

逆に捉えると、ソーシャルブックマークmixiを使いこなしている人はその時点で、ある程度の差はあるものの、”ウェブに親しんでいる人”というカテゴリーに収まってしまうわけです。

そうなのですよね。Webを使いこなせるかどうかというのは偏りにかなり影響を与えているものだと思います。さきほど書いた私の女友達たちは、おおむねロム専のようです。見るだけ。書くとしたらmixiだけ。ブログやサイトを見ていろいろ考えたり感じたりするけれど、わざわざブクマしたりしないし、はてスタを押したりはしない(はてなユーザーでもないですし)。つまり、彼女たちはサイレントマジョリティなわけです。
やはりこうしてブログを書いたり、コメントをつけたり、はてスタを押したりという積極派は少数派で、裏返せば、ブログやブクマ、ブコメ、はてスタというのは、一部のwebに慣れ親しんでいる人の声なわけです。ほとんどの意見、あるいは大多数の意見は表に出てこない。私達が目にしているのは、ほんのごく一部の慣れ親しんだユーザーの意見なわけです。目にする意見は、あくまでも一個人の意見であり、大多数の意見を代弁しているものとは限らないのですね。まぁ大多数の意見を集約するというのはなかなか難しい作業のように思いますがw まぁ、ひとつの突出した意見、例えばネガコメなどは注目されがちですけれど、結局のところそれも一意見にしかすぎない。一個人の一意見にすぎないのだから、絶対視する必要はないし、意見は意見としてそこにあっていいわけです。

ウェブに対しては常に偏りを意識し、なおかつ偏りを避けるためにウェブ以外でも情報に対する意見を求める。

これも同意ですね。Webには偏りがある。まぁ他の媒体でも偏りというのは避けられないものですが、特にWebに接する場合偏りがあるということをわかった上で、かつWebに公開されているものが正しいわけではない。特にコメントなどは特定の人の一意見にすぎないというのを頭に置いておいたほうがいいですね。Web上に公開されているものが信頼できると思いこんでしまうのは危険だし間違っていると思うのです。情報を鵜呑みにしないということですね。


一気にこれだけ書いてしまいましたが「ウェブという偏り」について考えてみるのは面白かったですw